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浜松と徳川家康

です。 浜松と徳川家康です。私は浜松生まれですが、浜松の人は家康に親しみが在りますね。 今年の nhk 大河ドラマは 山梨 武田信玄の 兵法 参謀のお話ですが 私は 最近 大河ドラマは見ていないのですが。  二十歳の頃 点字でたしか 120巻くらいの 山岡荘八の徳川家康を詠んで  感動しました。
  私の住む ここ 浜松は 徳川家康の出世上ですが。家康は 若い頃 武田信玄に みかたばら合戦で 負けています。   それで 浜松に住んでる人なら殆どが知っていることを 資料を何も見ないで 書かせていただきます。
では、まず浜松駅を バスに乗り 若き 徳川家康と武田信玄とが 戦った みかたばらの方に 向かって バスを乗ると、直ぐ 市役所です。 そこに浜松上公園があり 浜松城もあります。 残念ながら40年以上前に立てられたお城ですから、古城ではありません。 そこから五つのバス停が賽ケ崖「さいががけ」です。 ここは 新川の源がある 深い崖です。もちろん現在は 整備されています。 この 深い崖に白い布を張って 橋に見せかけ、計略により 武田勢を崖したに 落とそうとしたのです。 ちょうど雪が降っていて 武田勢も橋と間違えて 大勢の 騎馬軍団が落ちて 兵士が沢山死んだそうです。 それを慰めようと 遠州大念仏が後年 農民達により結成され 今も 本多家が 祭り続けた 寺が崖の傍にあり 毎年 浜松中の何箇所かの、遠州大念仏の組が交代で亡くなった武田勢を慰めようと  祭りをしています。 だから町名は 布橋 ぬのはしです。ぬのはしの雪と言うお菓子も在ります。
その次が私の住む 城北です。。 そして このバス道理は、「姫街道」と呼ばれています。江戸時代 海側の 街道でなく山沿いの裏街道です。 「姫街道」なんて ちょっと可愛いでしょう。 そこから 又バスでみかたばらの方に六つ目くらいの停留所が 銭取りでそこから 六つ目くらいの停留所があるところが小豆餅町で バス停は 隣のバイパスに 在ります。 そこで 徳川家康が武田信玄に負けて逃げてくる最中に 茶店のばあさんに小豆餅を食べさせてもらっている所 又 追っ手が近づき あわくって逃げたので 茶店の ばあさんが 金払えと追っかけていき さっきのバス亭 銭取りで捕まえて  銭を払わせたと言われます。 これは浜松の人は皆、知っていますが 眉唾物ですね。 でも今でもその 小豆餅は 葵と言うお店で売られています。
   まだ 似たような話はありますよ。 家康が戦い中 腹が減り 農家に立ち寄り なにか食べさせてくれと所望したので、梅干粥を出したのです。 そして 家康から 名字をもらったのです。そのお宅は 小粥 読み方は  「おがい」ですが、今でも おがいさんは何件か在り、家康のお墨付きも在ります。
今度は 白尾と言うお宅です。 そのお宅は 今も在り、読み方は 「しらお」です。 、このお宅は 家康が逃げるさい、隠れていたところ馬の尻尾が出ていたのを、 隠して上げたので、家康が逃げおおせたのです。 その功績により、名字をもらい この家を守ると言う家康からの書状が今も 在ります。 などなど 言い伝えを残し やっとの思いで馬の上で、大便をもらしながら 城に 逃げ帰ったのです。
当時 浜松は 曳馬野 ひくまのと呼ばれていたので ひくま野城と呼ばれて いました。    そして 城の近くに 元城とかバス亭もあり、家康を祭る 権現神社もあり、その隣が 城に出入りの 呉服商人の子孫のお宅の石垣の立派な家もあり、 又 棒屋と言う 昔ながらの名家もあります。 今は色々やってますが 棒屋の棒は 城に 馬の餌の草を天秤棒で担いで  運んで 天秤棒一本で 成功したので  棒屋の名がついたと言われています。
又 文化財にる物も沢山在ります。侍屋敷とか、家康の 側室のおまんのかたが結城秀康を産んだ所もあり、今でも其処ではそれを守って伝統芸能が残っていると言う事です。そのニュースを張っておきます。

「雄踏歌舞伎・万人講」「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」が、 10代の女性、4人の踊りが、伴奏に良く乗ってリズム感もよく、 お互いの息が合って見事でした。  特に酒に酔った所作が、経験したこともないはずなのに感じが出ていて 楽しいものでした。当日は、雄踏ゆかりの(徳川家康の次男)結城 秀康(ゆうき ひでやす)公を主人公にした創作歌舞伎もあり、東京から公のご子孫に当たる 松平 宗紀(まつだいら むねとし)氏ご夫妻もお見えでした。  出演者の熱演に対しては客席からきれいな紙に包んだおひねりが無数に投げ られ、観客もたいへん楽しんでいるようでした。

そして家康の正妻の築山午前が切られた場所とか その お墓は 西来院「せいらいいん」に ありますが、これは 織田信長の要請によりの事ですが、その時 一緒に  二股城で家康の長男 信康も切腹しています。二股城は天竜川上流に 城跡が 在ります。 築山午前の切られた場所は 今 午前谷と呼ばれ 刀を洗った池もあります。 彼女は 今川家の一族の 関口氏の娘で 確か 一つ年上でしたね。
私の住む街は 元 池川と呼ばれ、大地主の名前なのです。 昔は自分の土地だけを通って 駅まで行けたそうです。 まだまだ 言い伝えは多くあります。羽織をかけた松とか 地名も 権現がついた 小川 谷など色々在ります。もちろんこれは浜松だけですが、静岡市の方にも いっぱいあります。
  織田信長も秀吉も家康も 愛知県で生まれていますが。 秀吉も 浜松の松下家に若い頃奉公したと言われます。 そして徳川家康は 静岡県に 長く住んでいました。 岡崎で産まれ、静岡の駿府の今川に 幼少のころ 人質に成り、 出世上で浜松から初め 江戸に行き 天下を制定し 静岡の駿府城に住み 、 73歳で亡くなっています。 生涯のうち なんと 40年は静岡県に住んだ事に なります。若い頃から人質になり 信長と秀吉に臣従した。同盟とは 言え、家臣の扱いでしたよね。戦場で苦労し、結局60歳で天下を治め、体に気をつけて、徳川家でも中でも 長生きしました。でも後年は、太って 自分で下穿きもつけれなかったそうですね。
  母は おだいと言い 岡崎と 小田の間に位置した 刈谷の 水野氏の娘で  家康の幼名 松平 竹千代を産み 戦略的に 離別し 久松家に再婚し、今、江戸の  小石川の名刹 名前は忘れましたが 鎌倉時代に建てられた、寺に葬られ、 でんづういん おだいの名前から、通称を でんづういんと言って 今も在ります。
だから 浜松はもちろん静岡県の人は徳川家康が好きですね。 だから 遺品や 言い伝えが沢山在りますね。 わさびの葉っぱが 徳川家の家紋の葵に似ているため わさびを好んだそうです。 そして折戸茄子と言う茄子が在りますが これも大好物で 初夢の一つとなりました。それと 三ケ日の大福寺が作る 浜納豆も好きだったそうです。 これは塩に漬けた ゆでた大豆で 塩辛いからお茶漬けに美味しいそうで 駅でも 売られています。 因みに 甘納豆もそれを転じて 浜松で作られたそうです。 浜松で有名な祭りの凧揚げや、御殿屋台の引き回しや、ねりは浜松上の殿様の子供の誕生を祝い始められたとも言われています。
そして 最後の将軍 徳川慶喜が、駿府城に隠棲しました。 もう 時は明治ですから 慶喜も「けいきさん けいきさん」と親しまれ 余生を 自由に送ったみたいですね。 新しい物が好きだった 慶喜、彼は 自転車 カメラなど 好きで、写真も 残っているみたいですね。   慶喜の 孫娘の 高松宮、菊子様 ご愛用のお雛様が そのシーズンには 飾られますね。そして、奇しくも今年は静岡に家康が駿府城を建てて400年です。それで、家康入城四百年祭をやってます。
もし 大河ドラマを楽しみに見られてる方は、あの 老練な武田信玄が山梨から  天下を取に 京都に向かう途中 まだ若輩の家康を ちょっとひとひねりして、 通り過ぎた後に そんな事があったのだと 思うと面白いかもしれません。   読んでいただき ありがとうございました。           宮司 みやじ

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