I Love オーサカ。 アルバイト 大阪 1です。 私が普通中学校を卒業して、盲学校に入った頃は まだ視力が残っていて なんの苦労も知らない頃でした。 本科3年の夏休みから アルバイトを始めました。
どうして 始めようとしたか覚えていないけど、たぶん お金が欲しかったのでしょうね。盲学校に入った時から 卒業したら直ぐ 開業しようとしていました。学校自体を 職業訓練所としていたので勉強も 実習も卒業後の仕事と直結しているので 少しも嫌ではなく進んでやっていました。夢は土地を買って、治療院を建て そこに四方八方からお客が来てくれると 今思えば幼いけどそう 思っていましたから、まずは 金です。それでも 色々調べたと思います。
担任の先生に許可をもらいに行ったが 学生時代は その時にしか出来ない事が あるからそんなはやばや働く事は無いよとおっしゃられたので、へそ曲がりな私は  アルバイトに行く事にしました。 地元でアルバイトはしたくなかったので 東京か名古屋か 京都大阪を考えて、 学校にあった点字毎日の 広告欄に マッサージ師募集が乗っていたので それを 頼りに電話で問い合わせました。
当時は 家に電話が無く隣町のタバコ屋さんの店先にあった、赤電話を借りて連絡を取ってから夏休みに入ったその日に出かけました。 最終バスで駅まで出て確か 夜8時頃に駅に着くのが 最終バスでしたね。
一人 不安に 寂しくなった 夜の駅の 木で出来た薄ら寒いベンチにカバン一つで座り 時間を潰した事を覚えています。夜の12時頃の、まだ当時はあった、鈍行の大阪行きに乗り、その時は京都の治療員を目指していましたので、夜の 各駅電車は西を向いて  のんびりと走りました。 はずかしながら、当時は電話もほとんどかけた事無く、まして 一人でそんなに 遠くまで電車に乗った事が無い頃でした。
京都に近づくに従い明るくなり 普通の通勤電車になりラッシュになって サラリーマンや女子大生らしき 一群など乗ってきて 又おりて行きました。 私も京都につき おりました。田舎者が うろつきまして もったいなかったけど  タクシーを駅で拾い 住所を言って乗せて 言ってもらいましたら 途中で運転手さんが これは 大型ですけどよろしいですかと 聞いてきた事を覚えていますが 、 細かいところは覚えていませんけど、とにかくその治療院につきました。
そこは 春日八郎のおとみさんみたく いきな黒塀 見越しの松 と言った 感じの通りでした。、 ご主人と会い、治療所を見せていただいたら、畳に布団がずらっと並んでいて  朝だったので少しずつマッサージ師の人が集まり出し お客さんも集まり、仕事が 始まりました。 私は始めて治療院を見ましたから、ちょっとショックを受けました。学校のように 治療ベッドなのかと思っていたのです。 それと 当時は 男の京都弁が奇妙に感じ又 街の黒べいナドの 古めかしさが なんとなく違和感を感じ、働くのをやめて、大阪まで出ようと又電車に乗りました。
大阪は梅田に降り立ち、点字毎日から抜粋してきた治療院に電話をかけて見たりして、その時は 環状線の電車に乗り 駅名は 桃谷か 寺だかは忘れましたが、その お宅まで行きましたら 男の人が一人暮らしをしているような 冴えないところでした。私もちょっと途方にくれましたが、その人が 別のマッサージ治療院を紹介してくれたので、 運良くそこで働く事が出来ました。
  もちろん当時はマッサージの免許が無い頃で、どのようにごまかしたか、それも学生とは言わなかったと思います。 当時は大阪万国博覧会の前で景気の良い頃でしたね。 でも そこもベッドでなく畳みに布団を敷き 治療するのです。それで夜は、 従業員用の布団としき変えて そこに寝ました。そこには もう 長崎盲学校の女生徒と大阪盲の子もいました。
名前はすっかり忘れましたが楽しかったですね。一所に 同業者の家に遊びに行きサウナに皆で入った事を覚えています。 週1の休みは 私は田舎者でしたから何もかも 興味しんしんで 大都会 大阪の色々を見ました。休みはあちらこちらと一人で歩いたり電車に乗ったり、今となっては覚えて いませんが 楽しかったですね。 そして夏休み ぎりぎりになって 家に帰りました。 懐には稼いだお金がずっしりと入っていました。40日くらい働いたのですが大人が一人働いた額が手に入ったのです。確か 父の給料より多かったと思います。
あの時 何の苦労も無く あれだけの大金が簡単に手に入ったのです。それで 変な自信が付いてしまったと思います。そして 学校を卒業したら直ぐ開業しようと 思ったのでしょうね。 アルバイト 大阪 1は ここまでです。

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