屋号

の、ことです。

  私が視力が衰えたので 浜松盲学校に三療の資格を取るために入学し 浜盲を 卒業しまして、直ぐ 開業しました。
そして 屋号を、宮司治療院 と決めまして、大きな 電光看板を作りましたが、 十数年で壊れました。 今度はトタン製で、下置きの簡単な看板を作りました。 、屋号も、治療院とはとても 恥ずかしくて名乗れないので、只、「はり 指圧」と しました。
  今日は その 屋号の事を書きます。   皆さんのお宅や、子どものころ育った 家には屋号は在りませんでしたか。   私の育った田舎は歴史の深い農村で、 だから 本家 新や 又その 大本家と、今は血の繋がりは感じませんが、 近くは皆親戚とか 同じ名字ですので、屋号で 呼ばれていました。 私の家は _日なたご」でした。 只、日当りが良かったからです。。
他の家も、それぞれ呼ばれてました。 様の付く家は、元 庄屋とかの家です。
伊豆の稲取りなどは屋号で有名ですね。同じ巳代治ばかりですので どうしても呼び名は変えないとこんがらがりますからね。
  街に移り住んでから、今度は 屋号と言うより商号の屋号ですね。   出身地が判る屋号、商売を表す屋号、立派な屋号が付いているのに 愛称で 呼ばれる家、 又 古い屋号を引き継いでいる お店、たとえば 酸素やと 言うお菓子屋、メガネ屋と言う雑貨やで 本業は二階でカルチャーセンターをして いるお店。
  それにちょっと見ただけでは判らないお店。 でも 最近はどこも、商店街の 空洞化で困っていますよね。
でも 屋号の文字は 本当は商売や歌舞伎役者の屋号は 屋根の屋ですが、普通の家の ニックネームのやごうは 家号と書くのだそうです。
  屋号を ちょっとネットで見たら、 屋号は世界中に在るのですね。   日本では 江戸時代以前、士農工商で武士以外は名字が無くて、大商人や 大農家などで取引上名前が必要で 屋号が出来、商号も出来。
  歌舞伎や、伝統芸能は当時は川原乞食と別称されていたが、認知され、成田屋、 音羽屋など許されたが、あの中村とか市川とかは名字で無く、芸名だそうです。
  私は以前、歌舞伎役者の屋号は、有名役者が通りに、自分の、グッヅを売る店を 作り、売る 為の見せの 名前だと聞きましたが、良く判らないそうです。
  それに伴って、伝統芸能も屋号を付ける様になり、落語家は特に 亭が付く人が 多いので、 亭号と言われるそうです。   屋号で有名なのは 玉屋、鍵屋、越後屋、加賀屋、三河屋、三越、 鴻池、、音羽屋、成田屋、など 切りも無く在りますね。
  江戸時代は士農工商で 武士が支配階級で 名字帯刀は武士だけのものでしたが。 実際は 国定忠治も清水の次郎長も 刀をさしていたし、名字らしい物を付けて いますね。 大庄屋や大商人は名字帯刀が許されていましたね。でも 公式 フォーマルでは名字帯刀は武士の物でしょうね。
  山田村の御幣とか 言って 分けないと やはり名前だけでは 捌ききれませんからね。だから 江戸時代からの墓標に山田御幣と書かれていて 我が家は元 武士だったのではと錯覚する人が出ますよね。
私も立派な屋号を名乗れるようになりたいね!もう 無理ですね。 では ここまでです。

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