時間の散歩(過去・現在)


最後の運炭路線−芦別線の挫折

 芦別線は根室本線芦別駅と函館本線納内駅を結ぶ予定で昭和39年に着工(芦別〜石狩新城)されに昭和55年に工事凍結された未成線です。工事が開始された時は、芦別市だけで三井芦別や三菱芦別、油谷等の炭鉱が採炭しておりまた、沿線には黄金炭鉱?もあり、これに赤平の炭鉱が加わります。となると根室本線の線路容量が飽和する可能性が出てきます。また、室蘭本線、函館本線(砂川−小樽間)も年々トラフィックが増加していることを考慮すると。芦別から新城峠を越えて納内で函館本線、深川から留萌本線で留萌港へ石炭を運べるようにするため着工となったのだと推測しております。でも、昭和30年代は炭鉱の閉山が始まったのになぜ?という疑問(実際着工した年に三菱芦別は閉山)が沸いてくると思いますが、実は採算性が悪かったり、炭層が枯渇した中小あるいは古い炭鉱が閉山しただけで、近代設備を投入した大規模炭鉱を中心に出炭量は増加を続け昭和45年には芦別市だけで200万トン弱を出炭しておりますので工事着工も美幸線よりは正当だと思います。ただし着工から3年ほどで開業できれば営業収益もあがり問題なかったのでしょうが、建設工事に15年ほどかけているうちに大規模炭鉱も閉山し出炭量は急降下、さらに閉山により人口が減少し根室線の線路容量の問題どころか運ぶ人も石炭も無くなったようです。どう見ても採算割れ確実な路線ですがそれでも建設を続けていたところ昭和55年に美幸線や名羽線ら共に工事凍結されました。


石狩新城駅付近の築堤は健在で、現在、路盤は農道に使われていました。石狩新城駅の予定地を少し離れると周囲は田園風景です
  

石狩新城のやや芦別よりの地点の築堤。綺麗に残っています。

芦別黄金町付近の築堤です。 パンケ幌内川に沿った路盤には、砂利が入れられ農道として活用されています。

その手の方には有名な、空知川にかかる橋梁の橋台です。国鉄時代には橋梁があったそうですが清算事業団になって撤去されたようです。橋台の痛み具合から見ていずれ撤去されたでしょう。 芦別線は根室本線芦別駅を滝川方向に向かって発車すると右に分岐して新城峠目指して鉄路が伸びるはずでした。

芦別線は石炭全盛期に運炭鉄道として計画・着工され、建設中に運ぶべき石炭が無くなったという悲劇の未成線です。私も官庁勤めなものでよくわかりますが、ゼロから立ち上げる苦労はものすごいものがあります。が、中止する場合は既得権の関係からそれ以上の根回しと労力が必要となる場合が多いです。そして投入した資源の量と中止する場合の労力とは比例します。
 とはいえ採算が割れることが判明した時点で工事中止ができなかったものでしょうか? もし、この芦別線や名羽線などの未完成区間に投入された資材・労力のうち存在価値が無くなった最後の10年分だけでも函館〜札幌〜旭川間の高速化・立体化(高架化)に投入すればもっと鉄道の価値が上がっていたのではないかと(後知恵)思います。 そうなれば、今ごろ旭川〜函館間に160km/hで高速列車が運行されていたかも知れません。

平成14年4月29日

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