東方野球狂想曲





 暦は卯月、日本は春の訪れを迎えていた。外には桜が咲き乱れ、地面から冬眠していた生物達が顔を出す。動かない『静』の季節から『動』の季節への変換だった。
 それはここ、結界で覆われた幻想郷も同じである。今年は冥界に春を奪われることもなく、例年通りの季節の訪れを多くの住人が歓迎していた。
 しかしここに一人、平穏な日々が続くことをよしとしない人間がいた。

「暇だぜ」

 霧雨魔理沙、普通の魔法使いである。博麗神社に茶を啜りにきた彼女は突然そんなことを宣った。
 魔理沙がそう呟いた時は碌なことが起きない。それは幻想郷の一般常識である。
 その被害を毎回のように爆心地で受けている博麗霊夢は、対抗策を考えようとしたが無駄だと思ったのでとりあえずお茶を飲んだ。

(あら? このお茶おいしいわね)

 霊夢は満足そうに息を吐く。香霖堂でパク……もとい譲ってもらった品物だったが意外といけた。

「暇だぜ」

 お茶を飲み干した霊夢は急須を手に取り、新たなお茶を茶碗に注ぐ。茶碗からは白い湯気とともにいい匂いが漂ってきた。

「暇だぜ」

 急須を脇に置き、替わりに茶碗を手にとって霊夢はお茶をたんの、

「暇だぜ霊夢」
「さっきからうるさいわね」

 徐々に間隔が短くなっていく魔理沙の「暇だぜ」発言に痺れを切らし、霊夢は茶碗を卓袱台に戻す。流石に名前を呼ばれたら無視するわけにはいかなかった。

「暇だったら他の所に行けばいいじゃない。ここに居たって何もないわよ」
「いやいや、今日はきっとここで何かが起きる。私には分かるぜ」
「レミリアじゃあるまいし、何の根拠もなしに馬鹿なこと言わないでよね」

 魔理沙の話を一蹴し、霊夢は改めてお茶を飲み始め、

「はぁい」

 られなかった。霊夢至福の一時は、虚空に現れた隙間から顔を出した八雲紫によって中断を余儀なくされた。溜息を吐きながら邪魔者を睨むが、その程度で彼女が怯むなら苦労していない。

「今日は面白い話を持ってきてあげたわよ」
「なんだなんだ」

 霊夢にとっては紫が出てきた時点で全く面白くないのだが、その言葉に魔理沙が喰い付かないわけがない。その双眸は爛々と光り輝いていた。
 その様子に紫は笑みを浮かべ満足そうに頷く。霊夢の天性の勘はその笑みに警鐘を鳴らした。しかしそれに気付くのが些か遅すぎた。

「それじゃあ、お二人様ご案内〜」

 紫がパチンと指を鳴らすと、霊夢達が座っていた縁側が突然割れた。紫お得意の隙間が展開されたのである。

「げぇ!」

 踏ん張りを利かすことも出来ず二人はそのまま隙間へと落ちていく――と同時に空中に放り出された。空中とはいえ一メートルもしない所に地面がある。
 霊夢は面倒臭がりながらも体勢を立て直し華麗に足から着地する。一方の魔理沙はお尻で着地し「ドハァ」と間抜けな叫び声を上げていた。

「いてて、落とすならちゃんと宣言しろよな」

 魔理沙はお尻を擦りながら虚空に向かって文句を言っている。しかし隙間は既になく、紫の姿もなくなっていた。

「それにしても、ここはどこかしら?」

 霊夢達が今立っている所は土の地面である。それも村でよく見る畦道と違い、かなり丁寧に整備されている。
 その地面が途中から緑の芝に生え変わっており、これらを取り囲む結界のように壁で辺りを囲まれていた。その一方、真上を遮るものは何もなく青天井が広がっている。
 そして壁の外側には人が座るような椅子が大量に置かれていた。
 例えるならこれはまるで、

「まるでコロッセオね」
「コロッセオ?」

 遥か昔、遠い西洋の地で作られた巨大な闘技場――それがコロッセオである。その中では人間達の命を懸けた戦いが行われていた。それを上流階級である貴族達が観戦していたようだ。

「ふーん。趣味の悪い所なんだな」

 他にも色々と逸話があるのだが魔理沙にとってはどうでもいいことらしい。まあ趣味の悪い所であることは否定できなかった。実際に処刑などもされたことがあるらしい。

「で、結局どこなんだ?」
「ここは野球場だね」

 魔理沙の問いに答えたのは霊夢でも紫でもなく、いつの間にか姿を現していた森近霖之助だった。壁にあった扉からゆっくり歩きながらこちらへやってくる。

「霖之助さん。どうしたの、こんな所に?」

 彼の名前は森近霖之助、魔法の森に居を構える『香霖堂』の店主である。しかし店の主人でありながら人付き合いの悪さは異常、そして驚異的な出不精である。そんな彼がなぜこんな所にいるのか?

「無縁塚を散策していたら、ここに辿り着いたんだよ」
「ここって無縁塚だったの?」

 無縁塚は幻想郷の一区域である。結界で覆われ外の世界と完全に断絶されている幻想郷だが、ここは存在が外に近いためか境界が曖昧になっている。そのため無縁塚には外で忘れ去られたものが流れ着くことが多い。外の世界に興味のある霖之助は仕入れのため頻繁に訪れていた。

「恐らくこの球場も外の世界で忘れ去られたものの一つなんだろう」
「ふーん。こんな巨大な建造物も忘れ去られることがあるんだ」
「なあ香霖」
「なんだい魔理沙」

 感慨深くしていると魔理沙が霖之助に話し掛けていた。ちなみに霖之助は過去に魔理沙の実家で修行していたことがあり、二人は旧知の間柄である。香霖という呼び方をしているのはそのためだ。

「野球ってなんだ?」
「あ、それは私も気になったわ」

 魔理沙の意見に霊夢も乗っかった。この忘れ去られた巨大空間を使って行われた野球という競技に少なからず興味が湧いたのだ。

「ふむ、僕も詳しくは知らないが」

 野球とは九人対九人で戦う団体競技である。この球場で一つの白球をバットという棒で打ち合い、互いに点を取り合う崇高な戦いなのだ。

「外の世界でも割とメジャーな競技らしいね」
「ふーん。でもメジャーだったのに、なんでこの球場は幻想になったのかしら」

 それほど有名な戦いの場所が簡単に幻想になるものだろうか。そうでなくてもこの球場は大きい。円形の球場は直径で一・五町(約一五○メートル)はある。
 こんなもの撤去するだけで多大な労力を使いそうなのだが。

「もしかしたら、野球も外の世界では廃れてしまったのかもしれないな」

 どれだけ有名なものでもいつかは廃れる。それは世界の摂理である。この世は繁栄と衰退を繰り返して動いているのだ。
 この野球も一時の繁栄の時期を過ぎてしまったのだろう。誰からも注目されなくなり、最後に残ったのは球場という不要物――取り壊されるのも時間の問題だったのだろう。
 思い出とは何か切欠がないと振り返ることは出来ない。昔の写真などを見て、あの時はこんなことがあった、と振り返るのである。
 球場そのものが消滅してしまえば、ずっと覚えておける人など一人もいないだろう。たとえいても、死んでしまえば終わり。永遠などこの世に存在しないのだから。

(いつか、これがなくなってしまう時も来るんでしょうね)

 霊夢は懐からスペルカードを取り出す。妖怪の弱体化を防ぐため、作り出された戦いのルール。
 紫の助言もあって完成したルールだが、私が作ったことに変わりはない。
 自分がなくなったものがなくなるのは少し悲しい。それが遥か未来、霊夢自身が死んだ後だとしても。
 幻想郷の中で幻想になったものはどこへ行くのだろうか。外の世界? 幻想の中の幻想? それとも……。

「よし決めた」

 先程から隣で何事か考えていた魔理沙がいきなり顔を上げた。その顔は何か面白いことを思い付いたかのように喜色が浮かんでいる。
 紫の時と同じく霊夢の頭に警鐘が鳴り響いたが、残念ながらこれを止める術を彼女は有していなかった。

「野球しようぜ!」

 あぁ、やっぱり。多分そんなこと言うんだろうなあ、と思っていた。

「嫌よ、そんな疲れること」

 とりあえず反論してみるが、そんな言葉など魔理沙は聞きやしない。右から左へ聞き流す。

「私と霊夢でそれぞれチーム作ってさ、どうだ?」
「中々面白そうじゃないか」

 何故か霖之助は乗り気だった。もしかしたら野球を広めれば道具が売れて儲かると考えているのかもしれない。現金な奴だった。

「霊夢もいいだろ?」
「嫌って言ったでしょうが」
「えー、なんでだよ?」
「疲れるからって言ったでしょうが……」

 基本的に霊夢は異変以外の理由で動きたくないのである。面倒だとか、疲れるからとか色々理由はあるが、最終的に辿り着く場所は動くとカロリーを消費するからである。
 ろくに収入のない神社では、少しのカロリーが貴重なのだ。異変は解決すれば村の方からお布施が貰える。しかし今回の野球では勝っても特にメリットがない。カロリーの無駄遣いである。

「それじゃあやる気が出るように商品でもつけようかしら」

 そこに今までどこに行っていたのか、紫が隙間から顔を出した。急に現れたにも拘わらず誰も驚かない。もう三人とも慣れているのだ、紫の奇行には。

「商品〜? 何であんたがわざわざ用意するのよ」
「別にいいじゃない。面白そうなことに協力は惜しまないわ」

 霊夢は訝しげな顔をするが、内心は紫の言った商品とやらに興味津々である。しかしここで参加表明してしまえば、まるで商品に釣られたように見える。実際釣られているわけだが、あからさまにそんな姿を見せてしまえば代々伝わる博麗家の威信にかかわる。

(ここは慎重に行動するべきよ、霊夢)

 霊夢は自分に言い聞かせて自制する。その霊夢を尻目に魔理沙が紫に聞いた。

「商品って何をくれるんだ」
「そうね。米一俵なんてどうかしら?」
「乗ったぁ!」

 博麗の威信は数行で露と消え去った。だがそれも仕方ない。年がら年中食料難に喘いでいる霊夢にとって、米一俵は喉から手が出るほど欲しいものなのだ。

(米一俵あれば二ヶ月、いえ、上手く回せば三ヶ月は持つわ)

 しかも既に勝った気でいた。獲らぬ狸の皮算用とはよく言ったものである。

「よし! じゃあ私と霊夢でそれぞれ連合軍を作って勝負ってことでいいよな」
「はいはい、分かったわよ」
「じゃあたった今からメンバー集め開始だぜ!」
「は?」

 霊夢が聞き返す前に、魔理沙は箒に乗って空に飛び立っていた。

「メンバー集めは早い者勝ちだからなぁぁぁぁ!」

 そのまま超加速でドップラー効果を残しながら飛び去っていった。それを呆然と見送る人間、半妖、妖怪。十数秒後、霊夢が最初に覚醒した。

「ハッ! 拙い、先を越されたわ!」

 自分で勝手にルールを決めて勝手に始めるのは果てしなく卑怯な気もするが、この世界は言った者勝ちである。先にやられた方が悪いのである。

「私も早く出発しないと」

 飛行速度は圧倒的に霊夢より魔理沙の方が早い。だと言うのにスタートすら遅れていては話にならない。さっさと出発してなるべく強力なメンバーを集めなければいけない。

「じゃあ先に行くから!」
「ちょっと待った霊夢」

 急いで飛び立とうとした霊夢を霖之助が呼び止めた。勢いを削がれたせいか霊夢は少し怒っている。

「何よ、霖之助さん」

 怒鳴り声に近い声になったが霖之助は特に気にしなかった。そして眼鏡を押し上げながら言う。

「行くならついでに僕も一緒に連れて行ってくれ」

 霊夢は派手にずっこけた。霊夢のタイムロス、すでに五分超である。



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