ここでは、東急世田谷線の路線の歴史を紹介します。


およそ2分ほどで終了すると思われるアニメーション路線図による路線の移り変わりです。ひとコマ5秒ほどです。ヘタクソな絵で申し訳ありませんが、ご覧下さい。なお東急東横線は地図上一番最後のコマにのみ書きました。(あまりごちゃごちゃ書いても返って見難いかと思って・・・^-^;;)それ以前の時代のコマでも路線がなかったわけではないのであらかじめお含みおきください。

とりあえず簡単な説明を・・・

開業から最盛期まで
明治40年3月に道玄坂上から三軒茶屋までの路線が開通した玉川線は、4月に二子多摩川園まで開業して、そのおよそ4ヵ月後に渋谷駅への乗入れを果たします。現在マークシティが立っているところ、ちょうど銀座線の車庫の真横を下って、京王井の頭線のホームの脇を通って渋谷駅に入っていました。現在でいうと、JRの山手線をおりて東急や銀座線などから井の頭線へ向かって歩いていく途中、テナントをはさんで窓際と東急東横店よりに通路がある、その東横店よりの通路のところが駅でした。大正時代に入ると11年6月に渋谷橋まで、13年3月に二子多摩川園から砧本村まで(砧線)、同じく4月に天現寺橋まで、14年1月に三軒茶屋から世田谷まで(世田谷線の前身)、14年5月に下高井戸まで(下高井戸線)が開業します。さらに昭和2年には渋谷橋から分岐して中目黒に至る路線と、多摩川を渡って溝の口まで行く路線が開業して、玉電は最盛期を迎えるのです。

軌道鉄道網の衰退、現在の姿へ
昭和13年11月には渋谷から先に伸びていたすべての路線が東京市電(後の都電・現在の東京都交通局)となります。戦後の混乱期を乗り切って玉川通りの交通の一翼をになっていた玉電も新しい形に進化するときが近づいてきました。当時、二子玉川園から先に伸びていた大井町線を、さらに延長する計画があって、玉電は大井町線に線路を譲って二子玉川園から溝の口方面が大井町線となります。そしてモータリゼーションが叫ばれる中、246号線の上では居場所がなくなってしまい交通の妨げになる路面電車は地下鉄として生まれ変わることになり、渋谷から二子多摩川園間も廃止されてしまいます。このときほとんどが専用軌道であった世田谷線は、縦割りの路線という事で生き残りました。上町に車庫と研修施設を作って、車両の保守もできるようになっています。一方砧線は沿線にそのような余地がなく、玉川線の廃止によって車両も路線も完全に孤立してしまうことから廃止されてしまいました。昭和44年5月10日のことです。その後生き残った下高井戸線は世田谷線と名前を変えて、地域の皆様の足として活躍しつづけています。しかしながら車両の老朽化も激しく、乗り降りもしにくいことなどから新型車両が導入され、玉電の車両たちは姿を消してしまいました。


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