. 親子と法                AR現行法における親     

 

 

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三 現行法における親

(1) 生殖の権利
 京都大学名誉教授である星野一正博士(16)は、「子宮がない不妊症の人にも当然、子供を持つ幸せを求める権利」があると宣明されている(17)。生殖の権利を享受する人は、誰でも、である。この章では、実際の母と父の概念がどの程度まで生物学上の構成に基づくかを考察し、そして、生物学的な繋がりが親としての必要、十分条件であるかどうかを問題とする。何が親としての地位を表徴するかについて考察をするために、現行日本国民法に明文の規定がある親規定と、繁殖をめぐる法律上の重要点を調査することから始める。
(2) 実定法の規定
 憲法はその第二四条で、家族生活における個人の尊厳と両性の平等について規定し、第ニ項で 「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」と謳っている。次に第二六条では、教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償について規定し、第二項で、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」と謳っている。日本国憲法は、日本国民をしてある特定の子女を保護し、教育を受けさせる義務を負う国民とそうでない国民とに分けている。憲法に親に関する明確な規定は存在せず、それは民法にゆだねている。後述するが、子に対して教育を受けさせることを含めて教育を行うことは親権の一内容である。
 @ 親族
 民法第四編は「親族」に関して規定を置く。第一章は総則で、第七二五条から第七三〇条までの六箇条に規定がある。まず親”族”と規定している。「親」は族であり、集団であって、それは一人の場合もあるが、数人の場合もある。六親等内の血族、 配偶者、 三親等内の姻族が親族である。姻族には遺伝的血縁関係はないが「親族」である。
 A 親権
  @ 当事者と親権者
 成年に達しない子は、父母の親権に服する(民法第八一八条第一項)。成人した後、子は父母の親権には服しない。未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす(民法第七五三条)。婚姻すると、たとえ未成年者であっても、親権には服さない。親権は、父母の婚姻中は、父母が共同してこれを行う。但し、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が、これを行う(民法第八一八条)。父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない(民法第八一九条一項)。 裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める(民法第八一九条二項)。 父が認知した子に対する親権は、父母の協議で父を親権者と定めたときに限り、父がこれを行う(民法第八一九条四項)。民法第八一九条第一項、第三項又は前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、父又は母の請求によって、協議に代わる審判をすることができる(民法第八一九条五項)。子が養子であるときは、養親の親権に服する(民法第八一八条二項)。父母の一方が単独親権者となった場合で、子の利益のために必要であると認められるときは、子の親族の請求により家庭裁判所は親権者を変更することができる(民法第八一九条六項,家審第九条一項乙類七号)。
  A 内容
 親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う(民法第八二〇条)。子は、親権を行う者が指定した場所に、その居所を定めなければならない(民法第八二一条)。親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる(民法第八二二条第一項)。 子を懲戒場に入れる期間は、六箇月以下の範囲内で、家庭裁判所がこれを定める。但し、この期間は、親権を行う者の請求によって、何時でも、これを短縮することができる(民法第八二二条第二項)。職業に就くことを許可する(民法第八二三条)。親権を行う者は、子の財産を管理し、又、その財産に関する法律行為についてその子を代表する。但し、その子の行為を目的とする債務を生ずべき場合には、本人の同意を得なければならない(民法第八二四条第二項)。親権を行う者は、自己のためにすると同一の注意を以って、その管理権を行わなければならない(民法第八二七条)。親権を行う父又は母とその子と利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。親権を行う者が数人の子に対して親権を行う場合において、その一人と他の子との利益が相反する行為については、その一方のために、前項の規定を準用する(民法第八二六条第二項)。
  B 喪失
 父又は母が、親権を濫用し、又は著しく不行跡であるときは、家庭裁判所は、子の親族又は検察官の請求によって、その親権の喪失を宣告することができる(民法第八三四条第)。 親権を行う父又は母が、管理が失当であったことによってその子の財産を危うくしたときは、家庭裁判所は、子の親族又は検察官の請求によって、その管理権の喪失を宣告することができる(民法第八三五条)。 親権を行う父又は母は、やむを得ない事由があるときは、家庭裁判所の許可を得て、親権又は管理権を辞することができる。前項の事由が止んだときは、父又は母は、家庭裁判所の許可を得て、親権又は管理権を回復することができる(民法第八二六条第一項、第二項)。
(3) 判例
 @ 昭和三七年四月二七日最高裁判決
母子関係の評価基準として、しばしば「昭和三七年四月二七日最高裁判決」が援用される。日く「母子関係は分娩の事実によって発生する」である。しかし、この判決は「分娩の事実」をすべての出生届に排他的に課すとは言っていない。この判決は、子を分娩した女性に何らかの事情があって、分娩した子を自らの籍に入れることができず、別人の籍に入れていて、後になって子を分娩した女性がその子との親子関係の存在を求めて裁判所に提訴したものである。私人間で親子関係の存在をめぐって争いがあり、当事者同士では解決することができず、国家が用意している紛争解決の手段としての裁判を利用したのである。
 裁判所は、子を分娩した女性の提訴を受けて対審の後、「母と非嫡出子間の親子関係は、原則として、母の認知をまたず、分娩の事実により当然発生するものと解すべきである」と述べている。裁判所は子を分娩した女性の主張を容認し、戸籍上の母子関係の訂正を行わしめている。冷静に考えれば、訂正されるまでは、子を分娩していない女性の名が戸籍の母の欄に記されていたのである。分娩した女性に諸事情があって戸籍の母の欄に自己の名を記載せしめることができなかったのである。
 大多数の親子関係、なかんずく母子関係は分娩の事実だが、関係者すべてが納得している場合、あるいはやむを得ないと思っている場合は、分娩していない女性の名を母の欄に記載してもいいのである。少なくとも、昭和三七年四月二七日最高裁判決を読む限りではそうなっている。また、この判決は、「母と・・・親子関係は・・・分娩の事実によって・・発生する」とは言っているものの、「原則として」と言う語句が間に入っていて、「分娩の事実」が排他的でないことを意味している。『最高裁判所判例解説』(18)はこの事案を次のように説明している。
1.Y(被告、控訴人、上告人)はX女(原告、被控訴人、被上告人)とA男との間に出生した(大正六年七月三〇日)が、当時Xの養父母の反対があったためXの籍に入れることを許されず、養父母の知合のBに依頼して、同人の嫡出子として出生届がなされ、その直後XとYとの養子縁組みがなされた(因みに、当事者の主張によると、その後XとYとの養子縁組は解消され、更めてA及びその妻CとYとの間に養子縁組がなされて現在に及んでいるという)。そこで、XよりYに対し、XとYとの間に親子関係が存在することの確認を求めたのが本訴である。
2.一,二審判決とも、XのYに対する認知の有無を問題とすることなく(もっとも、両判決とも、母と非嫡出子との間の親子関係の発生には母の認知を心要としないとの見解を前提としたものであろうが、この点につき特に当事者が問題としなかったため、殊更その見解を述べることをしなかったものと思われる)、Yは]とAとの間に出生したとの事実から、]とYとの親子関係を認め、Xの請求を容認すべきものとした。上告論旨もまた、もっぱら原判決の事実誤認を主張し、]・Y間の親子関係の発生につき認知を要するかの問題については何ら触れるところがなかったが、後記大審院判例を考慮し、又、学説上も種々論争されている問題であること等の関係からであろうか、本判決は附言するにと断って、前掲判決要旨のように判示して、右の問題についての最高裁判所の見解を明らかにしたものである。
A 大正十年十二月九日大審院判決
大審院は、婚外子が生母の遺産相続人であると主張して、その相続財産につき共有権を有するとの確認を求めた事案において、婚外子と母との関係についても母の認知かなければ法律上の親子関係を生じないとし、その根拠として民法にその旨の明文があること、子の父に対する場合とその母に対する場合とを別異に扱うことは権衡に失することを挙げている。大審院は「共有権確認抵当登記更正手続請求の件」について、大正十年十二月九日に次のように判示している(19)。
・・・(前略)子は生理的には親子なりといえども法律上は未だ以って親子関係を発生するに至らず斯かる関係は其の父又は母に於いて認知をなすによりて始めて生ずるものなることは吾成法上の制度として疑いなき事なり・・・・(中略)・・・・・父の認知なき限り法律上これを親子と目するを得ざることに付いては何ら疑いなき以上独り母の場合においてのみ・・・・・(中略)・・・・・生母たる事実が明白なる限り認知を要せずして法律上当然親子関係を発生すると論断せしむは権衡を失する(後略)・・・・
 B 大正十二年三月九日大審院私生子認知請求事件判決
この事件の判決で大審院は「母ノ為シタル私生子ノ届出ハ同時ニ其ノ認知ノ効力ヲ生スルモノトス」(20)と判決要旨で述べた。この事件で大審院は判決理由で次のように述べる(21)。
父が庶子出生の届出を為したるときは其の届出は認知の効力を有するものなることは戸籍法第八三条前段の規定する所にて母が自ら私生子出生の届出を為したる場合に於いて私生子認知の効力を有するものなるや否やに付ては戸籍法上何等規定する所なきも右両者を比較して考ふるに均しく出生届出にして前者は其の届出と同時に認知届出の効力を生するに拘らす後者のみ其の届出と同時に認知の効力を生かせさるものと認むべき何等の理由を発見することを得さるか故に既に父か為したる庶子出生の届出にして同時に庶子認知届出の効力を生するものと認めたる規定ある以上は母か為したる私生子出生の届出も亦同時に私生子認知届出の効力を生ずるものと認めたるの法意なりと解するに難からす而して(後略)・・・
この判決で大審院は父がなした出生届は同時に認知届けの効力がある、との規定が戸籍法に存在する以上、法の下で男女平等とは言っていないが、母がなした出生届にも認知の効力があると判示した。このことは母子関係も父子関係と同様に認知によって発生するとした大正十年十二月九日大審院判決を踏襲した。
(4) 生殖の権利は誰に付随するか?
 @ 母は誰か?:生物学的推定と分娩の役割
「生物学的推定」とは、子の母は子を生む女性であるというかつての画一的な、そしていまだ行き渡っている法律上の原則をさしていう。古事記では、「新羅国の阿具奴摩という沼で、『賤しき女』が昼寝をしていると、太陽が虹のように輝いて、この乙女の陰部に光が注ぎ、妊娠して『赤玉』を生みこの赤い玉を床に置くと、麗しい乙女になり、新羅の国主の子、天之日矛の妻となった」(22)。
 「乙女の陰部に光が注ぎ、妊娠して『赤玉』を生み」という語句を使用していて、この語句は推定の意味にいつも曖昧さを表してきた。妊娠が母の状態を示しているかもしれないが、それが母であることの必要条件とすることは疑わしい。むしろ、旧民法と現行民法が遺伝的血縁関係を母としての権利の基礎なる一つと考えたと見ることができる(23)。生殖補助医療が開発されるまでは、分娩と遺伝的血縁関係は同一人の手中にあった。この解釈で、かつて妊娠は、単により基本的な遺伝子の関係に関し動かぬ証拠となるだけのものであろう。
 実際には、論争と区別は、それ自体ただ過去における学問的な問題に過ぎず、しかし今日、生殖補助医療技術が加速度的に使用されてきて、それは明白な意味としての問題である。 例えば、胚移植契約に関する状況では、別々の女性が遺伝子上と妊娠上の役割を担う。エッグ・ドナーは、意図された親に対して、数個の受精卵を供給する。子が生まれた場合は、自身がその子へ親としての義務は引き受けない。意図された親は、サロゲートと共同で子供を創造する。しかしながら、もしサロゲートが心変わりをして子の保護権を望んだ場合、法はどのように対応すべきだろうか? 伝統的な対応で、生物学的推定を適用するならば、サロゲートに母としての法的優先権を与える対応がこれまでの理解である(24)。しかし、このように適用することがこの論争に関する生物学的推定の、より深い意味と、それとも現代的感覚との、どちらに該当するのかはっきりしない。実際に、「生物学的」たる用語は、繁殖における遺伝子上と妊娠上の両方の意味を含意していて、曖昧な用法から影響を受けやすい。
 では、胚移植契約を締結して、生殖補助医療を経て、子が生まれた場合はどう考えればいいのだろか?妊娠上の役割に関する法律上の意味は不確実である。有力な参考意見として谷口知平教授は著作『親子法の研究』の中で、母子関係当然発生説 ---- 分娩の事実があれは当然に母子関係があるとの説 ---- を批判し、その問題点を列挙している(25)。
(1)はその母が子の監護教育の権利を有し従ってその子が他人の手に養育されている場合にその膝下への取戻を請求しうることである。併しこれ認めるは、その母をして出生届を(即ち認知)を為さしむればよいので、出生届をせずに実母たることを立証したからといって、かかる取戻の権利を詔むべきではなかろう。
(2)はその母が子の財産の管理権、子の財産上の法律行為代理権を有すること、又その子の財産が多額で養育管理費と相投したものとみたされた剰余を取得することである。現実にその母がその子の財産を管理したり代表行為をした場合にその管理が適法に行われたものとなり、又代理が無権代理行為とならないので妥当な様にも見えるけれど、その子に虚偽とはいえ公示せられた親権者や後見人があるのだから公示されていない実母の代理行為を有権的な代理行為とすることが果して一般取引の安全を害しないか大いに疑問である。やはりその母をして出生届(認知)を為さしめ虚偽の戸籍の訂正を為さしめてからかかる権利を認めるのがよくはなかろうか。
(3)はその母と子との間に相互に扶養の権利義務を認めることである。先ず子は母に対し詔知を求めずに直接自己を生んだ母たることを立証して、扶養を求め得ることになる。この訴を子が幼少の場合、誰が代理して提起するかということになると、認知の訴を提起せしめると同じ手数を要すると解すべく而も母たることの確認は認知におけると同じであって、結局この種の訴は認知の請求をも含むものだと見られはせぬだろうか。次に母はその子に財産のある場合に自己の生んだ子であることを立証して扶養を求め得ることにたる。併し子が未成年の場合には母は出生届(認知)をして扶養の請求をすればよいので、あえて自己の生んだ子であることの立証は必要でなく、誤っておれば子の方から認知取消の訴をすることになるから母子関係当然発生を認める実益は少ない。けれども、子が成年の場合には、余程効果が異なる。当然発生説によると母は分娩した母たることを立証して、当然に成年の子より扶養を求め得ることになるが、認知を要するという見解によると、子が承諾をしなければ認知を為し得ないから、子は扶養を欲しなければ認知に承諾をしないであろうし、従って母は扶養を求めることができないこととなる。この当否が問題となる訳だが、幼時養育をせずに放置し他人に養わしめて成人した子に養われようというのが不当であるとして成年子の認知に対し承諾を要件とするものとすれば、父の場合と母の場合とを区別すべき理由はないのであるから、子が承諾せぬ限り扶養義務を負わずとする認知を認める解釈の方が民法の規定を生かす所以ではなかろうか。次に母子関係当然発生説によると、生母が子の出生届をせず放置したので第三者(例えば生母の養親とか、戸主など)が養育した場合に養育費の償還をその生母に求め得ることになる。母子関係発生に詔知を要するとの説によれば、第三者は利害関係人としてその子の後見人を選任せしめ認知請求を為さしめた上、母に対し養育費の求償を行うべき順序となり、母が分明している場合には無用の手続きを強いる様にも見えるけれども、母が不分明の場合には当然母子関係を認めても母子関係の立証を要する訳であるから、詔知訴訟を経しむるのと手数において大差はない。ただ、直接容易に求償権を認めることは、第三者の扶養を促進することとなり子の保護を増大する結果となるということはいえるであろう。
 (4)は母子間に相互の相続権を認めることである。先ず第一に真実の母が死亡した場合に、子は未成年たると成年たるとを問わず、叉母の死亡後三年以上経たと否とを問わす自己を生んだ母であることを立証して相続権を主張し、既に相続財産が他の相続人間に分割して承継せられておれは、それ等の者に対して相続回復の請求を認められることになる。母の認知を要するという見解を採れば、子は母の死後三年以内に限り認知の訴を提起しその上で相続権の主張を為しうる訳であるが、何れの説でも死後三年内の間は子は相続に与りうるのだから実際上大きな差異を生じない。けれども三年以上経過後では相続に与り得るや否やの差を生する。他の相続人や第三者の保護は、相続回復請求権の時効によって企てられ得るのであるから、当然母子関係を認めて、子の相続権を主張せしめることは、その子の経済的保護を厚くする所以であって大体において妥当といえるであろう。さて次に子が死亡した場合、子が相続その他で財産を有していたときは、母は生母たることを立証して相続を主張し得ることになる。子に直系卑属がある場合はその直系尊属は相続権を有しないから認知を要するとの見解を採っても母の地位に差異はない訳であるが、子が未成年であつたとか、成年者でも子を有しないとか、配偶者を有していたとかの場合には、認知を要するとの見解によれば母は死亡した子を認知し得ないため(民法783条U)母は母として子に対する相続権を主張し得ないが、当然母子関係を認めるとこれを主張し得ることになる。けれども生前に養育をせず母たる身分を隠秘にして置いて死亡するやその財経相続を主張し得しめることの当否は疑問なきを得ない。要之、出生による母子関係法認説は、子をして生母の死亡後三年以上経過後においても相続権を主張し得しめる点において認知を要するとする説よりも妥当であるが、何人かに育てられ子が成年になり、母とすることを承認しないにも拘らず、その子にその生母を扶養する義務を負わしめ、又愛育の努力を為さずして子の死亡に際し生母をして相続に与らしむることとなる点で妥当なりやは疑わしいということができる。その他の場合には、何れの説を採るも単に、母子関係の法認について、認知の手続を経るか、直接出生事実の確認をするかの差異があるにとどまり、実際上余り大なる差異を生じないと思われる。
遺伝子上の役割に関しては、父の権利の議論に関する状況で検討すればさらに妥当な結論が開拓できるであろう。なぜなら、憲法の男女平等原則から、父の権利の議論が母の権利に関する議論に援用可能だからである。
 A 父は誰か?:父子関係の推定と遺伝的繋がりの役割
 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定される(民法第七七二条一項)。しかし婚姻中に懐胎したことを証明するには懐胎時を特定する必要があり、これは困難であることから、婚姻の日から二〇〇日後又は婚姻解消もしくは取消の日から三〇〇日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定され(民法第七七二条二項)結果として夫の子と推定されるという、二段階の推定規定を置いている。この嫡出推定は、通常の推定と異なり、特殊な法律上の推定で、仮に妻の産んだ子が夫との間で懐胎していない場合でも、それをくつがえすには嫡出否認の訴によらなければならない(民法第七七四条)。嫡出否認の訴は夫が子の出生を知った日から一年以内に提起することを要し(民法第七七七条)、夫が子の出生後その嫡出性を承認すれば否認権を失う(民法第七七六条)(26)。
 父子関係は、性交を通して、父と子が遺伝的に繋がっていることを基本とするが、遺伝的に繋がっているかどうかを本人以外の他者が全ての事例に証拠を挙げて繋がっている・いないを証明することは不可能である。それに親権が「子の監護及び教育をする権利・義務」(民法第八二〇条)である以上、たとえ遺伝的に繋がっていても、子を監護・教育する義務を怠っている男に、親権を認めることは子の福祉にかなわない。つまるところ、父であることとは、子を監護・教育する男に与えられた役割としての呼称である。そして、その役割を担う男は、大多数は子と遺伝的に繋がっている男ではある。一方、希少ではあろうが遺伝的に繋がっていなくても子を全うに監護・教育している男にはその子と「血縁がある」との言語表現をするのであって、血縁がないということがはっきりとわかっていても、子を全うに監護・教育する男は父である。
 B 生殖の権利と生物学的連結との関係
 先の議論は、生物学的連結があることが必ずしも親としての決定的要因となる訳ではないことを示している。生殖の権利とは「誰でも子を持つ権利である」。父子関係は表見上は「血縁」すなわち生物学的連結であるがこれは偶然の一関係にすぎず、さらに根本的なところでは「意思」とそれを発動した結果としての養育実績である。母子関係もかなり広くかつ有力に主張せられている説は生物学的関係 ---- 現代の生殖補助医療では「血縁」と「分娩」を分離できる ---- ではあるが、特殊な場合にはこの評価基準は機能しない。生殖補助医療を利用し子をこの世に送り込まんと考える状況の中で、協力する第三者との関係で意図された親にどのような権利があるかについては、さらに実際の事例から分析的かつ実証的な考察が必要である。

 

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