2005年1月1日土曜日
新年はアンティグアでのカウントダウン。しかし人が多すぎてどこでカウントダウンしたのかわからなかった。とりあえず2005年のライトが点灯して花火の連発。あ〜年が明けたんだ…という感じだった(笑)。しばらく余韻を楽しんだあと今度は首都へ向かうことにした。前からずっと行きたかったところ。グアテマラ最大のクラブ街、「ソナビバ」。グアテマラ日本人は首都では夜9時半以降外出禁止なためソナビバの夜を楽しむことは通常不可能。でも今日は皆さんの車がありますから大丈夫。
と、いうことで行ってきました。ソナビバのクラブは流行の移り変わりがホントに速く1年ごとに出てきたり潰れてきたりを繰り返しているらしい。そこで彼らが選んでくれたのはClaveというところ。ここはラテン音楽で有名なクラブらしい。それ以外にもトランスやハウスで有名なところもあるらしいがさすがは首都。中の客層も明らかに違っていた。踊りももちろんだがお金持ちっぽい人がたくさん。雰囲気もちょっと今までのグアテマラとは違って面白いものだ。
終わってアンティグアに帰ったらちょっと就寝。そして朝からはモンテリコというビーチへ出発。グアテマラ人は休暇で海に行くことがステータスらしくみんなこぞって海へ繰り出す。オレは正月らしく静かに過ごすのもいいと思ったんだけど、やっぱグアテマラに来たからにはグアテマラっぽく生きてみることにした。マヌエラの友人と合流してエスクイントラに行きそこからモンテリコへ。彼らの友人はやはり首都出身ということで富裕層が中心。しかしこれをグアテマラでは数少ない中産階級というらしい。お金持ちはもっとすごいというわけか…。車は新品っぽいぐらいきれいだし、ビールを飲みながらの運転。オレも酔っ払っていたから恐怖は全く感じなかったのだが(笑)本当はすごい運転をしていたのだろう。
船で車ごと渡って少し走ったところで着いたのがモンテリコ。砂は火山性で黒いのであまり日本とかわらない。沖縄やタイでみられるような白い砂で波が低く遠浅と所謂ビーチとはかけ離れているがオレはそんなビーチにあまり行ったことがないためそこまで失望を感じない。ヨーロッパ人はよくグアテマラの海について文句を言っているが…。到着しても酒を飲むのむ。今度はラム酒が登場した。結局3時ごろまで飲んでいたようだがオレは昨日寝ていない疲れもあり12時で卒倒。日本の強さをみせることができませんでした。すんません、日本の皆さん。
1月2日日曜日
みんなより早く寝られたおかげ、または昨日酒を飲みすぎたこともあり、朝は7時前に起きることができた。すでに日の出は過ぎてしまっていたけど朝のビーチを散歩することはできた。朝の日差しはまだ強くない。やっぱり誰しもが夜更かしをしていたようで浜辺にはあまり人がいなかった。9時半ごろになるとみんなが起き始めた。すると浜辺ではゆっくりせずもう出発するという。おー、なんだ?と思ったらレストランに行くらしい。セビーチェというグアテマラでは珍しい海産物を使った料理があるのだが、それが美味しい店に連れて行ってくれるようだ。そのレストランはモンテリコをちょっと離れたIztapaというところにあった。やっぱりレストランもキレイなところでオレが普段いくようなコメドール(グアテマラ風定食屋)とは格が違う。味もとってもおいしかったし満足満足。
帰りは爆睡、起きたらもう首都についていた。グアテマラ人との旅行は完全に初めてだった。やっぱお金持ちと行くのは話しが違うわ。オレレストラン代以外はいっさいお金を払っていない。完璧にお客さん扱い。朝から晩までたっぷり飲んでいたし。でも残念だったこと。一番は教育レベルが低い。グアテマラの一般人はいつもウチらを中国人と呼ぶけれでも彼らも同様だった。オレが日本人だといってもまだ中国人と叫んでいた。ちゃんと勉強をしてきたはずなのに…ちょっとガッカリする部分もあった。そして性格的にもソリが合わなかったように思う。オレの日本の友人達みたいに気兼ねなく付き合える感じではなかった。うーん、未だにグアテマラ人との付き合いは難しい…。
1月3日月曜日
メキシコ行きの用意をしていた。この一週間故郷のシェラに帰っていなかったこともあり用意が長引いてもう少しでバスに乗り遅れるところだった。4時間半の道のりを経てついに到着。あー疲れた。この2週間さまざまな土地に赴き仕事をしたり観光をしたりできた。グアテマラで長期の遠出は初めてのことだった。良くも悪くもグアテマラ人の文化を体感できた一日だった。
1月4日火曜日
仕事始めの日だった。まるで日本のようだ。後任の人事でうちの学科長のホルヘ・モラレスと話を進めた。本当はこんな後任の呼び方をしたくはなかったけど今回ばかりはしょうがない。まあ次に職場が全く変わらずダメなままだったら一発で任地変更させてあげるので心配なし。そういった土壌を作るのがオレの仕事。まさにオレの職種は土壌肥料(笑)。
旅行中にできなかった日記の整理をしていた。メキシコに行く前にアップロードしてからいかなければ、あーめんどくせ。まだオフィシャルページも完成していないというのに。本当はメキシコに行く前にすべて終わらせるつもりだったのに。
1月5日水曜日
植林のボランティアをやっている語学学校の苗畑に行ってきた。年末に作った肥料の調子を見に行くためだ。着いてさっそく物置へ直行。うまく行っているようだ。まだ発酵が終わっていなかったのは意外だったがそんなもんか。次に液肥を作る予定を伝えてその日は終わり。それからは挨拶回り。林野庁、NGOを半分ぐらいはあけましておめでとうしてきたかな?明日も行かねば…。
1月6日木曜日
今日は一日忙しかった。自分がメインにしているNGOを2つまわった。挨拶に行って今年の計画を話しにいったのだがどちらもイマイチ。やっぱり日本の金を出してくれることを前提に話を進めようとする。まあオレは全然出すつもりはないのでいいのだけどイチイチ断るのが面倒くさい。まあいいや、どーせ後でわかるでしょう。オレもグアテマラ人だったら一応尋ねてみるだろうからな…。
午後からは大学の果樹学教授エクトルと今期の計画について話し合った。彼はウチの大学でもけっこう信用できるほうの先生。もちろんまだいっしょに働いたことがないので全然根拠はないのだけれど、学生に人気がある、時間を守る、誠実さがある、という理由で一応オレの中では仕事をいっしょにできる可能性のある教授第1位でしょうか。もうひとり野菜昆虫学のロニー氏はいるけどイマイチオレの仕事に興味をもっておらずお金目当てでオレに付き合っているフシがある。まあ、ここでは焦らず風林火山の「林」のように仕事を進めくのがベストだと今は思っている。
1月7日金曜日
日曜日のメキシコ行きのためバスで首都に移動。乗ったはずのバスは座れず2時間半。そのあとやっとバケツに座れて最後に1時間で椅子に座れた。ちょっと疲れたけど事故に合わなかったこと、バス強盗に合わなかったことだけでもラッキーだと思わなきゃ。
到着後すぐに事務所に行く。念願のパスポート。これを持っていればいつだって国境なんか脱出できるというのに…困ったもんだな。明日一日でホンジュラスにでも行って帰ってこようかな(笑))。
1月8日土曜日
明日はメキシコ。しっかり用意していかないと。毎回何か忘れ物がある。今回はとあるNGOのオフィスに自分の家の鍵を忘れた。アホとしか言いようがないが、そこの秘書とは仲がいいため本当に助かった。毎回こんなことばっかやってるといずれ本当に大きな失敗をしそう。
メキシコ行ってまいります。楽しみだ。10ヶ月ぶりに友人達に会えるのだ。
1月9日日曜日
起きたのは5時ぐらいだったか?速攻シャワーを浴びて朝ごはんを食べる。空港に着いたらまずメキシコの調整員である長谷川さんに頼まれていた世界最高とうたわれてるラム酒、サカパ・センテナリオを購入。1本25ドルだったが日本だったら万以上は確実のお酒。日本に帰る前もしっかり買っておかないと(笑)。
さて、チェックインをしにカウンターに行ったらちょっと驚いた。なんと普通のところには並ばず、特別のカウンターで手続きをさせられた。スペイン語で答えても英語で返してくる。しばらくスペイン語を続けていたけど相手が英語を話し続けたいみたいなので(またはオレのスペイン語の発音、または文法が悪かった?)しょうがないから英語で対応してやった。これはVIP待遇なのか?っと期待したのだが座席は普通のエコノミー。いったいなんだったのだろうか?もちろん手続きが早く終わっただけでも感謝すべきでしょう。飛行機に乗る前は喫茶店でグアテマラの高級紙を読んでいた。こんな時間も久しぶりだ。
飛行機に搭乗すると眠気が…。しかしその眠気がオレの意識を奪う前に隣のおっちゃんがオレに話しかけてきた。どうやらブラジル出身だが現在はエクアドルの薬系商社で働いているようだ。所謂MRというヤツだ。海外を又にかけるMRってのもカッコいいと思った。エクアドルっぽいスペイン語のS抜き発音にも2時間話していたらさすがに慣れたようだ。最後はかなり仲良くなりお互い名刺交換をして別れた。彼の印象的だった言葉は「やっぱり故郷は故郷。どこに何年いようがふるさと忘れることは決してできない」。納得。オレもどこに住むことになっても仙台だけは忘れることはないだろう。あっ宇都宮もそうだな。あと、トーキー、ボーンマス、メリーランド、フランクフルト…ありすぎか(笑)。
メキシコシティーに着いた。手っ取り早く手続きがすむ。イミグレーションのおっちゃんは自分から質問をしておいて、最後まで聞かずに判子を押すシマツ、おい!!なら無言でスタンプ押せって!笑!そして間髪をいれずタクシーに乗る。ホテルまで行く道でひたすら驚く。メキシコシティーはデカ過ぎる。人口2000万は間違いない数値だ。東京よりでかいだろう。もちろん新宿新都心ほどの密集した空間はないかもしれないがこの規模には驚いた。もちろんどっかで隣の国のグアテマラと比べていた自分がいたので余計に大きく見えたのかもしれない。こう考えるとメキシコの経済格差はすごい。中国ほどじゃないんだろうがまた革命が起こるぞ、ほっとくと。
んで、ホテルに着いた後はちょっとお散歩。本当は本屋に行きたかった。それも紀伊国屋のようなでっかいヤツ。だってグアテマラには残念ながらジュンク堂や紀伊国屋のような「ここにほぼ大体の本は買える」みたいな本屋は存在しないのだ。悲しいことだがこれが現実。だから今日はなんとしても本屋に行ってみたかったのだが…んー残念だ、日曜日でどこも開いていないようだ。日曜日が開いているのは日本ぐらいなのかな?休日に買い物を楽しもうぜ〜、とかやっぱり思わないんだろうな…。
メルカドやちょっとしたモール街を覗いてからホテルへ戻る。おっ、いたいた。実に9ヶ月ぶりだ。同期に会うことができた。9ヶ月ぶりってのはやっぱ感慨深いものがある。思わずちょっと感傷的になったと同時にはしゃいでしまっている自分がいた。そしてちょっと待つと今度は長谷川調整員が。こちらも9ヶ月ぶり。3ヶ月良くも悪くも大変お世話になった方である。さっそく調整員の家に行く。やっぱりJICA調整員の家はどこもキレイだ。もちろん治安を考えるとそういった場所しか住めるところがなくなるのでしょうが…。 久しぶりの鋤焼きなどをご馳走になりながら本当にいろいろなことを話すことができた。特に今回は上司部下の関係ではないこともあり結構際どいことまで聞いてしまった。でも正直かなり考えさせられる話もあった。自分はまだまだ。いつになったら人の役に立つような人間になれるのだろうか?いつも助けられてばかりの人生だ。いつかは恩返しをしたい…と思う。
1月10日月曜日
同期隊員にターミナルまで送ってもらった。バスの行き先はミチョアカン県モレリア市。この辺の北西部は歴史上ゴールドラッシュ(シルバーラッシュでもあった)が多くあり、それが終わるとゴーストタウンかする。そして発展が止まってしまった都市はそのときのままの町並みを維持し現在に至っている。そして現在は観光都市として再発展に成功し世界遺産に登録されている年も少なくない。モレリアもその一つ。町並みは中世のヨーロッパそのものだといわれている。
しかし3時間だといわれたバスは5時間半もかかってしまった。どうやら遠回りするバスに乗ってしまったらしい。ダイレクトで行くバスを選んだのはよかったが遠回りだとは思いもしなかったわ…。そんなこともありせっかくターミナルで待っていてくれた。ヘスス・バレロ氏にいきなり迷惑をかけてしまうこととなった。ご、ごめんなさい。しかし彼はとても優しく、「初めてのメキシコなんだからしょうがないよ。まだ2日目だろ?」と言ってくれた。なんと優しい…。
まずは職場である、(INIFAP-CENAPROS)農牧省試験場へ到着。一通り自己紹介を済ませる。驚いたのは職場のかなりの人間がオレが若いと言っていたこと。18歳と思った人もいたそうだ。アメリカでの生活以来、年齢を間違えられることは少なくなっていたがなんでメキシコに来てそうなったのだろう?ちょっと不思議だった。その後彼のオフィスに行き片っ端からメキシコの農業について説明攻め。納得いく答えが得られたこととそうでないことと…それらもこの14日ですべて答えがでるだろう。
わからないことは聞くよりも見てみよう!!ということで彼が実際に仕事をしているモレリアから少し離れたところにあるロメトンなる村へ行った。着くとまずはお食事をご馳走になる。初めてのメキシコ料理のオレも満足。フリホーレス(豆)が黒じゃなかったことが印象的だった。でも昔日本で食べたフリホーレスは確かこんな色だったはず。やっぱあれはメキシカンレストランだったわけだ♪
昼飯の後はいよいよ仕事。外にでて近くの家の庭に行く。すると5uぐらいの畑がある。これか〜、と思っていると彼が詳細を説明してくれた。これについては明日ゆっくりと。今回面白かったのは彼らといっしょに厚生省のお役人さんが来ていた。彼らは高血圧と糖尿病の講座を住民にしていた。こうやって農業と健康の両面からアプローチしているわけか、うーん納得。ここにボランティアはいらないだろーな。もちろん全部見えていない以上断定はできませんが。
夕食は彼の助手をしている方の家でご馳走になった。メキシコ料理はうまい。ちょっと辛いものもあるがオレにはちょうどいいくらい。この2週間はしっかり食べ過ぎることになりそうだ。ついでにもう一つ。夜のモレリアを帰りに見せてもらった。本当に美しい街だった。信じられん、本当にここは中米なんだろうか?と思うぐらい。マジでお隣のグアテマラとは月と鼈だ。但し…田舎に行けばグアテマラだってメキシコだって同じこと。この格差はどーにもならんな。
1月11日火曜日
朝4時半に起きた。あー寝不足だ。明日こそ思いっきり寝てやる〜。と思いながらシャワーを浴びる。メキシコの朝も冷える冷える、確実にヒト桁だろう、この気温。シャワーが温くて死ぬかと思った。カゼは引かなかったようだ。6時に車が迎えに来た。眠いと思いながらも話が弾んだ。行き先はケレタロ州というこれもメキシコでは北西地方にあたる。そしてここも中世の町並みを残しているといえる。
ケレタロ市に到着するとすぐにまた田舎へ行く。まずはLourdesに着いた。今回も前日と同じシチュエーション。ある家のだいたい5uぐらいの畑だった。このミッションの面白さはここにある、と思った。目的は有機農法の普及、女性の農業参加、農村開発だろう。興味深いところはまず小さな圃場から始める点である。利点は小規模なため資金的に安いのでお金があまりないところでもできる。少人数のため教えやすい。住民のモチーベーションも引き出せる。その村の役場や市役所などと協力してプロジェクトを進めている。さらに用いる器具も比較的安く、使用する材料もだいたいは田舎にあるものばかりである。動物の糞、作物の残渣などがほとんどである。コストパフォーマンス的にもかなり効率がいいといえるだろう。
オレがやりたいなぁーと思っていたことをラテン人が実行している。うーん、やっぱりメキシコはすごい。このグループに関してはお別れのとき、リーダーの女性は涙を流して見送っていた…。今まで何があったのかオレには知る由もないが、とにかく彼らの仕事がどのような評価を得ているのかだけはよく理解できた。
次に訪れたところはVilla Corregidoraという村。ここでも要領はいっしょ。2つあったのだが、一つはほとんど手付かずの状態になっており壊滅状態。ここでようやくうまくいっていない例を見ることができた。ただ彼らはそんなことに動じない。まあ7年間このプロジェクトをやっているわけだから当たり前だろう。初めはもっと酷かったに違いない。もう一つはしっかり進んでいた。いやー、こんな仕事ぶりを見るとここはやっぱり途上国には見えんよ(笑)。
食事はヘスス氏の家でご馳走になった。彼は1ヶ月に1回、今回のように1週間ケレタロに滞在するためそのときは家族と過ごす。それ以外はいわゆる単身赴任だ。これは去年からのことらしい。それまではケレタロで働いていた。彼の仕事が認められたのだろう。現在は農牧省に格上げだ。
夜はケレタロの街を散歩させてもらった。あまりにもキレイ過ぎるため、ただ感心。ここはヨーロッパ以外の何物でもない。メキシコはすごいところだ。もう一度旅行だけのために帰って来たいものだ。
1月12日水曜日
8時起きでよかった…久しぶりだ、ゆっくり寝させてもらった。今日も同様に田舎を回る。El Marques地方のLa Ventaというところに着いた。ここは今日からプロジェクトが始まるところだったので集中的に彼の手法を学ぶことができた。やっぱり何かを身に付けたいなら手足を動かすのが一番。おかげで理論と実践の両方ができたのでほぼ理解することができた。その中でも今日学んだのは彼らの姿勢。最初に来たときは他の政府のプロジェクトがあり、女性達がいなくなってしまった。ヘスス氏と助手のネリーはそれに全く動じない。そして彼女達が帰ってくるのを見越してしっかり用意をして待っていた。もちろん慣れていることだから彼らからすれば普通のことをしただけなのだろうけど、やっぱりわかってるね。オレはやっぱり日本人だ。彼らにはなれん。
昼食はLa ventaでご馳走になった。やっぱり田舎のおもてなしを楽しむのが村落開発の醍醐味だよね〜。3週間後会うことを約束して帰る。今日はこの後のミーティング以外やることなし。そんなわけでホテルに戻ってちょっとまとめ。今までわからなかった部分などをちょっと復習。オレのくだらない質問にもしっかり答えてくれる彼らは偉い。
そしてミーティング。今回はヘスス氏の仕事仲間でボカシ肥の工場を作る計画を考えているハイメ氏に会った。彼はヘスス氏と仲がよく、彼の有機農法の価値を理解している人間でなかなかの男である。やはりこういった有機農法を広めていくには両面からの活動が必要となる。一つは農村を中心にこの農法の有効性を広範囲にすること。同時期にこの計画を大規模にするための用意もすること。彼の頭にはしっかりイメージが出来上がっているようだ。そして実行に移している。そこがオレとは違うところ。
でも今日一連の動きでオレもなんとなくビジョンが出来上がってきた。明日までにこの辺をまとめてヘスス氏に相談してみる必要がありそうだ。やってみる価値はあるのではないだろうか…。
1月13日木曜日
本日はなかなか面白いものを見てしまった。ケレタロ州のサンタロサ地方にある小さな町に行ったのだが運転しているヘスス氏の顔もさえない。到着するとなんと沢山の人が集まっている。そして彼は「たくさん人がいるということは良くない印だ」と言った。オレもなんとなくわかった。この3日間見てきてここまで人が集まっているのをみたことがない。そう、これは同じ時間に何か他のイベントがあるということだ…。さらに、ここでこのプロジェクトを束ねている男がまたやる気なし。畑は豚に食われたとか言うし、何を聞いても言い訳ばかり…困ったもんだこりゃ。
どこに行ってもこういうことってあるんだね〜。でも彼に聞いたらもう「ここには来ないと思う。」と答えた。他にもっとやる気のある村がたくさんある。そしてこうやってせっかく来たのに何もしないで帰るのは3回目だそうだ。どこで見捨てるか、切り捨てるか?これは難しい判断だけどしょうがないのだろう。しかし残念!!!
帰りは革製品で有名な村へ寄った。その村のお店のほぼすべてで革物を売っている。修理屋もある。こういった街はどうやって発展してきたのだろうか?話を聞くと25年前のことだという。はっきりしたことはわからないけど仕掛け人がいたのだろうか…。とにかく破格の安さ、オレもジャケットを一つ購入した。まあ明後日寒いところに行くという理由もあるのですが(笑)。
ここに来てご飯の食べ過ぎだ。お二人さんがとてもカップクのよろしい方々なのでアホみたいに食べる食べる。オレも美味しいのもあるし彼らがせっかくメキシコ料理を紹介してくれるのでそれをそれを断るわけにもいかないよね、はぁー明日は少し控えたいな…。
1月14日金曜日
7時半に集合だったのでそれなりの時間に起きる。あまり寝ていないくせに眠気感じない。本日訪れた村はEzequiel Montesというケレタロ州から1時間半ほど走ったところにある。役場の周りにはすでに何回かボランティアが入っているらしく既に圃場が2つあった。1時間ぐらい経つと人がだいたい集まった。やっぱりヘスス氏のすごいところはいくら待たされても何も文句を言わないところ。やっぱり日本人だったらイライラするでしょう、こんなに待たされたら。やっぱこのぐらいゆとりを持って計画を立て、行動するのが中米で成功する秘訣なのだろう。
でも今回の住民はなかなかやる気があった。人数も30人ぐらい集まったしみんななかなかやる気がある。作業もあっという間に終わった。もちろんその後はお食事。メキシコの大衆料理、モレなるものを頂いた。グアテマラのペピアンと似たようなものだろうか?もちろん味は全然違ったけど。食事の間に村の男がオレに「近くにミミズ堆肥をやっているところがあるので見に行かないか?」と誘われた。無論面白そうだったので了解。ヘスス氏もオーケーをくれたので食事後みんなでそちらへ向かった。
着いた先は牧場っぽいところ。牛が100頭以上はいただろう。この糞をそのままミミズコンポストにしているということだろうか…。話を聞いてみると驚いたことに牛糞のみで堆肥を作っているらしい。うーん、さすがにびっくりだ。たまにアルファルファなどの植物も混ぜているらしいがその山は牛糞の大山に比べるとはるかに小さい。そういう偏った環境でミミズに何か悪影響がでることはないのだろうか?そういった実験データは見たことがないけどありそうな話しではある。しかしここの牧場はすごい。みみずへの温度、湿度管理はすべて機械化。これはさすがにオレが参考にできるシロモノではなさそうだ。
さて、次に向かったのは隣町の役場。話によるとそこは選挙後、急に協力を打ち切られたらしくそれ以来いっしょに活動ができていないらしい。住民もけっこうやる気があっただけに、また再開できないか今回お願いしに来たというわけだ。そして昨日やる気がなかったところを打ち切りここに全力を捧げるという方向らしい。もっともな話である。
仕事が終わって帰ったのは8時半。実は金曜日、夜だったら遊びに行くしかないでしょ?と思ったけどあまりにも疲れすぎていたため爆睡でした…残念!!!
1月15日土曜日
土曜日ですが仕事ありました。標高2500mのサン・ホアキンという村に行ってきました。この標高だとちょうど自分の任地と同じ高さ。やっぱり寒かった。着いたのは10時ごろだったにもかかわらず肌寒い天気だった。朝食はいきなり鶏がらのシチュー。寒さしのぎにはよかったのかもしれないがちょっとコッテリしすぎだよ…。オレにとにかく新しいメキシコ料理を紹介してくれるのは素直に嬉しいんだけどさ。
今日の仕事にはなんとヘスス氏の家族がついてきていた。どうやら奥さんのほうも何やらここで仕事があるようなのだ。それがなんだかは最後までわからなかったのだけれど。娘は彼の写真を見て知っていたがたまに親父の仕事についてくるのが好きなようだ。この前デジカメの写真を見せてもらったときの同様に娘が講習会に参加していた。
んで、目的地に着くと案の定誰も来ていない。しかし彼はいつものとーり怒らない。ゆっくり待つ。しかし今日は器具、材料も揃っていなかった。正直あまりよろしい状態ではなかったけどしょうがない。すぐにでも追肥が必要な状態の畑だったけど今回ばかりはどうにもならない。応急処置をしたけど、来週の金曜日もう一度ここに来ることになってしまった…おー忙しくなりそうだ、帰国寸前はいつもこうだ…。
早く仕事が終わってしまったので彼はケレタロ州最大の遺跡を見せてくれた。西暦600年〜1200年ぐらいに栄えていたという文明らしいのだが、この遺跡自体はどの文明が立てたか未だにナゾらしい。最低でもエルナン・コルテスがスペインからやってきたときはすでに廃墟になっていたようだ。うーん、まだまだわからないことだらけの中米遺跡たち。考古学のヒトからすればたまらないんだろーなぁ♪
夜はついに行ってきました。踊ってきました。メキシコ初のバーやクラブ。行くまでが大変だった。地図で見ると近くみえたんで歩いていってみると意外と長かった30分以上かかっていただろう。風は強いしちょっと肌寒かったのでまいった。帰りは絶対タクシーで帰ってやる〜!!!バーで一人で飲もうと思ったらいきなりカップルに誘われていっしょに飲むことに。アルゼンチンとメキシコのハーフの彼にケレタロ出身の彼女。お似合いの二人だった。そしてとても親切だった。そのあとはいっしょに踊った。
メキシコのクラブはグアテマラとは違う。日本やヨーロッパとそう変わらない。踊りがいのある場所だ(笑)。しかしもう一つのメキシコの大衆系音楽ばっかり流しているクラブは面白かった。普通に田舎から来たようなおじさんたちが音楽に合わせて踊っていた。こんな感じのクラブはどの都市にでもあるのだろうか?
1月16日日曜日
ホテルチェックアウトのギリギリまで寝ていた。11時半に起きて慌てて用意。今日はどこに行くか迷っていた。メキシコシティーに帰り友人と再会するか?メキシコで一番美しい都市といわれているグアナファトへ行くか…実はその友人とは会えるかどうかすらわかなかった。にもかかわらずやっぱり友人を選ぶオレ。結局メキシコシティーへ。
着くとすでに夕方。明日のバスの時間をチェックしたら行こうと思っていた国立博物館は閉まってしまい計画がズレてしまった。しょうがないのでトーレマジョールといわれる中南米最大のタワーへ行ってきた。55階とはどっかの日本のビルのようだ。頂上に行くのに700円。高過ぎない???まあこれがメキシコシティーだよな。しかし景色はそれに見合うだけのものだった。さすがは人口2000万人。山が連なるまでは景色に明かりが途切れない。ギリギリまで住宅が並ぶ。東京より大きいだろうな、明らかに。
夜の地下鉄。メキシコは鉄道もある。もちろんアメリカの影響か?非常に少ないけど。夜の治安は最悪らしいが今回はあえて利用してみた。案の定危なっかしい人たちもいたけどグアテマラの首都ほどじゃない。安全に調整員の家についた。また日本食をご馳走になってしまいました。ありがとうございます、長谷川さん。
1月17日月曜日
朝からまた日本食をご馳走になった。ご飯に味噌汁、そして納豆…これは駒ヶ根のとき以来かもしれん。納豆うま過ぎ。やっぱり日本人に生まれてよかった。そうじゃなきゃこんな一見腐ったような食べ物口にすらしないだろうし(笑)。
朝食後はメキシコのJICA事務所をお訪ね。やっぱりでかいグアテマラのJICAどころかグアテマラの大使館より明らかに規模がでかい。やっぱ中米一番なだけある。現地スタッフも多けりゃ事務次長も存在する。どこぞの家族的な事務所とは雰囲気がまるで違うね。でもみんな親切だった。ここに来た理由は同期の友人に会うこと、この研修をする足がかりを作ってくれた方々にお礼をすることだった。前者は残念ながら30分差で逃してしまったがお礼のほうはなんとかできた。オレがここにいて本当にいろいろなことを学んでいることは確実にオレ一人の実績じゃない。というかオレはほぼ何もしていないに等しい。特に今回の場合は。だからこそ吸収できることはタコのごとく吸い取ってこないとね♪
結局友人と会えなかったのはかなり残念だったのだが、まあしょうがない。あちらも仕事があるわけだからそれをオレがジャマする権利は一つもないのだ。大人しくバスに乗ってまたモレリアへと戻る。バスは本当にキレイでつくづく驚かされる。中での映画はかなり気に食わなかった(メキシコの原住民がアメリカにきて右往左往する見ててむかつくコメディー)が無視して読書に耽っていた。あー、この本読むと矛盾しか見えてこない。
モレリアへ到着。少し予定より遅めの3時半ごろに着いたのだが、あちらも交通事故による渋滞で遅れたためちょうどバスで出てきたときに運良く会えた。研修再開である。行ったところは初日に足を運んだロメトンという村。驚いたのは畑の変わりよう。1週間で一気に畑が緑色になった。うーん、これをみると彼の今まで言っていたこともかなり信用できる。やっぱり百聞は一見ですな。
夜はこの前車でしか通らなかったモレリアを歩いてみた。いやー、本当に美しいの一言。ケレタロもよかったけどモレリアもまた格別。やっぱメキシコいいなぁ…。メキシコの観光収入は石油の外貨獲得と同じだけ稼ぎ出している。その理由がわかるぐらい街は整備されていると思う。また必ずここには戻ってこよう。せっかく友達もできたわけだし♪
1月18日火曜日
今日は1日室内での研修。午前中はこれまで学んだことの整理、午後は有機農法についてのビデオを3本見た。午後のビデオはなかなかの衝撃だった。一つはユナイテッドフルーツによって家を追われたコスタリカのある村、もう一つはソ連崩壊後経済危機に陥ったキューバが有機農法によって復活を遂げる映画である。コスタリカの例は、巨大な資本が入ってきてもそれは必ずしも自国民にとって有益とは言えない現状があること。極論言えば資本主義では貧困層は救えないということ。キューバの例は一見大成功に見えるがどう考えても田舎のオヤジが自分達の有機農法について誇るような歌をいつも好きで歌っているわけがない。みんな笑顔だし…どっかの日本のお隣りの国よりはマシだけど片面だけを映像化した典型的な社会主義万歳映画。確かにソ連がつぶれたとき北朝鮮は死にキューバは生き残った。国ぐるみで行われている有機農法の政策は他の国には絶対マネできない。これは紛れもない奇跡であり賞賛に値すると思う。しかしそれと同時に社会主義反対派はことごとく殺され、または牢屋に入れられているという事実がある。民主主義(資本主義)も(社会主義)共産主義も結局貧困は救えんのか…じゃーどーしたらいいのかって話だな。それがわかっただけでも収穫なのかもしれないけど。
ホテルに帰ったらなんとプロジェクトXスペイン語バージョンのコマーシャルを見てしまった。こんなものが翻訳されるんだなぁ、また日本が余計誤解されるかもしれん。まあいいイメージを与えるほうが多いか、今回は。それにしても日本人は誰でも空手ができてパソコンが手で作れると思っているグアテマラ人、頼むからもう少し勉強してくれ。それはさすがに美化し過ぎだろ(笑)。まあ中国人か?って間違えられるのもやっぱり困るけどさ。
1月19日水曜日
寝坊、ついにやってしまった。やっぱりアラームをもう一つ持ってきておくべきだった。あー、バカは死んでも治らないとはこのオレだ。不幸中の幸いだったのはヘスス氏も遅れてきたことだ。おかげで彼を15分待たせるだけですんだ、15分もか!!!と怒りたい人もいるかもしれませんが、まあここは中米ですから1時間待つのは当たり前(笑)。しかし日本では二度とこんなことできんだろーな…。
今日はモレリア市があるミチョアカン県内の2番目の都市、ウルアパンへ研修に行った。何があるか?といえばアタリ一面アボガド畑だらけ。あっ、アボガドの苗畑もたくさんあったな(笑)そう、ここはアボガドの有名な産地。そして今回はそのアボガドの有機栽培を見学に来たわけだ。
やってきた人は女性。彼女がこの会社の社長か、美人だ(笑)。幼稚園に息子を迎えに行かなければならなくて忙しいという。この辺がたいしたもんだ。そんなわけでアホみたいにあるアボガド園の一角を見せてもらうことになった。初めにまず有機農法によるアボガド栽培の概要をプレゼンっぽく説明してくれた。スペイン語に英語を無理やり混ぜて話されたのでかえって理解しにくかったかも…。しかし実際に現地に案内されるとこれがなかなかすごい。ミミズコンポスト、生物肥料で施肥を行い、有機農薬、きのこ、天敵昆虫などを用いて病害虫の被害を防いでいる。きのこも昆虫もなんとしっかり研究室で培養してるよ…恐るべし。温度や湿度管理なども徹底しているしさすがはお金持ちだ。
結局全部見て回る時間がなくてタイムアウト。また機会があるならここに来てみたいもんだ。その後はアボガドプランテーション農園を経営している人々が作っている組合へお邪魔した。実際有機農法で作ったアボガドはブランド品になり通常より良い値段で売ることができる。しかしそれらを証明するには品質を評価する機関が必要である。だからこのような組合を作って、価格統一、品質強化等をしようというのが目的なのだろう。組合の会長は親切で質問に一つ一つ答えてくれた。
今日両方に聞かれたこと。「日本に輸出する方法ないのか?」でした。やっぱり日本のマーケットはでかい。現実にアボガドの輸入の相当量はメキシコから送られてきている。それが無農薬、無化学肥料とくれば買い手は多いのではないか?しかし…残念ながらオレは会社の人間ではなく国際協力の1ボランティア過ぎないということをお伝えしておいた(笑)。まあJETROのアドレスといつ展示会をやるくらいは教えておいたけど。
1月20日木曜日
本日もアボガドプランテーション視察。まず朝から早く来たのはイグナシオ氏。彼は昨日の組合とは違ったもう一つの組合に属している。そこのアドバイザー的立場らしい。オレは彼の車で一連のアボガドにおける状況を説明される。それらは昨日と大して変わらなかった。唯一つ、ちょっとグチっていた。実はこの組合はうまく機能していないらしい。内部同士の争いが酷く困っているようだ。メキシコも商売となるとうるさいんだろーな。
着いた農園はやはりでかい。今回のはマカダミアナッツやコーヒーも混作しているということでちょっとご馳走になれてよかった。バイオ肥料も大規模で生産しており実験なんかも行っていた。一方、地主さんであるおばちゃんのやる気はあまり感じられずなんかアドバイザーが一人歩きしているようにも感じられた。
夕方に差しかかるギリギリのところで、今度はウルアパンの奥のほうへ50kmほど行くと、ヘスス氏の助手であるネリー氏親戚の家があった。彼女自身は家もまあまあ裕福なほうであるが、そこは本当に農民の家といった感じである。そこではアボガドやコーヒーを作っていたが、もちろん肥料なんて一切やってない。そして大規模でやっている彼らの品質には勝てるはずがない。やはり小規模農家は厳しい。土地なし小作人よりは遥かにいいのだろうけれど…。
帰りはモレリアに帰るはずだったが時間的にお互い疲れているのと、オレのためにパツクアロというモレリアで一番美しい街を見せたいということでそこに泊まることになった。もちろんキレイなところだったがオレはモレリアやケレタロのほうが好きだったなぁ…。明日は研修最後の日。しっかり閉めてきます。
1月21日金曜日
研修最後の日だった。試験場でこの期間で学んだことを総括した。ほとんどグアテマラでは手に入らない貴重な資料もいただき、本当に至れり尽くせり。そしてもう一人この農牧省試験場のフェルナンドと話す機会があった。どうやら彼は日本で研修をしたことがあるらしく日本人にとても好意的だった。しかも彼はニムと呼ばれる木についての研究をしていた。この実は有機農薬として使用されているもので土や植物を殺さず害虫駆除ができるという次世代有機農法のカギを握る木である。この話をちょっと聞きたかったためオレは明日の昼をいっしょに食べることにした。
夜、ヘスス氏とお別れした後ネリーがモレリアの夜景をみせてくれた。しかし乾季なのに雨が降るという最悪の条件でちょっと残念。もちろん景色はメチャクチャ綺麗だったんだけどさ。そして最後はやっぱりメキシコ料理。まだトライしていなかった料理を試すことができた。最初から最後までどっぷりメキシコに浸かったなぁ。
この2週間本当に親切な方々に恵まれて最高の研修を送ることができた。ヘスス氏と助手のネリー氏に感謝したい。ちょっと太っちょな二人だけれども本当に優しく、おごりがない。とても陽気な方々だったのであまり気を使う必要もなかった。この2週間、本当にいろいろなことを学べたと思う。農業の知識はもちろんだが、それ以外の宝物を多く手に入れた。短い期間でしたが本当にありがとうございました。
1月22日土曜日
朝起きたら10時半。久しぶりに眠れて気持ちもよかった。昨日いろいろとくっちゃべったフェルナンドの家に招待されて昼飯をご馳走になった。やっぱりティピコ(地元の飯)が一番だね〜。オレの特徴はどこに行っても食べ物が美味しく食べられること。こうなったのは大学の貧乏生活のおかげなのですが、今思えばあのときに感謝。
彼と話しているとどーやらフェルナンド氏はエリートなんだな、ということがよくわかった。日本に研修に来ているのを皮切りにスペインなんかでもドクターを取っている。このパターンはオレの配属先であるサンチェスもいっしょだがなんと言っても環境が違うね、実験ができる。ただ息子さんはやっぱり日本は中国の一部だと思っていたらしい。まー、それだけはあきらめるしかない。
さて、バスに乗った。そして帰ってきました、メキシコシティー。その晩はお世話になった調整員とお食事をすることになった。この2週間お世話になりっぱなしだった長谷川さん、そしてこの研修をコーディネートしてくださった鈴木さん。両方の家族とお食事。なんと鈴木さんの奥さんはペルー人で非常にビジンな方だった。日本語も達者で驚くばかり。息子さんもスーパーバイリンガルなのだろう。でも海外生活長いからスペイン語のほうが日本語より話せたりして(笑
宿泊所に戻ったらメキシコの協力隊員がいてまた喋ってしまった。グアテマラの隊員を知っていたりしたのでなんか長話になってしまい結局朝6時。あー、やべー。とりあえず今日は寝るしかない。でもいい1日だったな♪
1月23日日曜日
無事帰ることができた。帰る前に同期の2人とゆっくり話をすることもできた。この2週間を総括すると最高の研修だったと思う。そして自分も本当に多くのことを学ぶことができたし、ちょっと最後に失敗もあったけど(航空券ね…)それもこれも含めてかなり密度のこい日々を過ごせたと思う。そしてメキシコ。こんなにすばらしい国だとは思いもしなかった。後日必ず旅行でここに帰って来たいと思う。またはここに仕事で帰ってこれても最高だと思うな。2年間かなりエンジョイできるんじゃないかな。
さて、グアテマラに戻って宿泊所へ。今日は同期の誕生日だった。んなわけでお土産のテキーラをプレゼント。先輩といっしょに何回か一気飲みして今日はお休みした。次の日が健康診断だということを知っての行為でした…それがどーゆー結果になったかについては後のお楽しみ。
1月24日月曜日
健康診断を速攻終えて帰ることにした。というのもオレの後任の要請用紙提出が1月の31日までだからだ。そしてグアテマラの郵便だけは信用できん。そうなると自分が郵便ヤサンになる以外に方法がないっすよね(笑)。バス代が安いからこんなことできるけどさー、日本だったらマジで切れているね。本当に最近は我慢強くなったもんだ。というより慣れたんだろうけど。どんなにバスが揺れようとも本に読めるし、物思いに耽ることも可能だしそれなりにやることがある。
ちょっと昨日の話しを少し。実は後輩が活動期間を1年半残して一時帰国することになった。病気が原因で顧問医からの命令らしい。本人はもう気持ちの整理がついていて大丈夫だったみたいだけど、命令が出たときはさぞかし辛かっただろう。オレだったら無視するかもしれんな。病気の具合にもよるかもしれないけどさ。ただキツイね、元々2年でしめようと思っている計画を途中で止められるのは。うーん、そう考えると健康体の自分は本当にそれだけでも感謝しなければならないと思う。
こうやってたまに1日を無碍に過ごしたりすることがある。このような行動は本当に活動をしたくても出来ない人、または試験、訓練をパスできなかったもっとモチベーションの高い人々に対して非常に失礼なこと。本当に改める必要があるな。ちょっとラテンのリズムに乗りすぎの部分がある。それをやっていいのは彼らと働くときだけ。あくまでも自分で計画を進めるときは限界まで頑張らないと。
1月25日火曜日
予定どーりのとんぼ返り、グアテマラシティーに帰ってきた。行きにUS Peace Corpsの友人とバスがいっしょになっていろいろ話していた。やっぱPeace Corpsもほとんど変わらない。カウンターパートなんてものは、あってなきに等しい、部隊の30%は途中帰国。これは日本よりヒドイ。でもしょせんはそんな感じだ。国際協力ってのは難しいことを改めて実感。ちなみに彼女は5日だけアメリカに帰るらしい。羨ましいことだ。日本だったら5日間だったら2日しか遊べない。帰ってないに限りなく等しい(笑)。
無事用紙も提出してやっと任務終了。明日から通常任務に戻ることができそうだな。それにしても1ヵ月半も大学で働いていない。ちょっと心配はあるがそれを楽しみに変えるぐらいの気合でいかないと!!!
1月26日水曜日
大学に戻った。みんなに日本に帰っていたのか?津波に巻き込まれていたのか?さまざまな質問をぶつけられたがとにかくみんなはオレのことを覚えてくれていたようだ。さっそく来週からの仕事内容を確認。一人一人挨拶をして今期の計画を練っているだけで時が過ぎていった。そして2月には大使館の無償文化事業のイベントもウチの大学である。そっちも仕事を頼まれてこれはいよいよ忙しくなりそうだ。
久しぶりに自宅もよかった。やっぱ自分の家になってきたなここは。初めから住み心地は最高だったけど2年後にここを離れるときが心配だ。どーせまた日本に帰ったらボロアパートに住むことが決定しているだけにね(笑)。
1月27日木曜日
今日はNGOを中心に回った。さっそくさまざまな仕事ができてしまった。昨年はいろいろとお世話になったCEDEPEM、ここでは本格的に講習会を開いてほしいと言われ中の農業技術者の中にはオレの仕事に相当興味を持ってくれているヒトもいる。このチャンスを逃がすわけにはいかない。はっきり言って雨季なるまで死ぬほど忙しい時期を送ることになること間違いなしの状況になってしまったがこのチャンスをしっかり利用してケツァルテナンゴ県に貢献したい。だってオレの任地だもん♪
それから一つ農業指導をお願いされた隣のソロラ県のNGOにも電話。こちらはまだにッ的が決められないとのこと。ここはチマルテナンゴ県で働いている先輩隊員と共同してできたらと考えている。ここの場合は土壌改良だけが目的ではないから。やっぱ野菜栽培となればオレの知識不足は否めない。二人で働けば相乗効果ってところですかね。まあ彼のほうがオレの100倍ぐらいの知識と経験を持ち合わせているので月とすっぽんのコンビでは逆にうまくいかなかったりするかもしれませんが(笑)。しかし時間が取れないかもしれない以上やっぱり助けてもらいたい。
これ以外にも、林野庁と農牧省、そしてマサテナンゴのサン・カルロス大学と…もう1個オーストリアのNGOがあったじゃねーか。本当に先が思いやられる。正直仕事を増やしすぎた。序盤あまりにも暇だったためいろんなところに調査に行き過ぎたな。結果的に多くの情報を得ることができたかわりにリスクもしっかり背負ってしまった。どれも中途半端にだけはならないように計画を立てていきたい。
1月28日金曜日
さらにCEDEPEMとの計画を練り直す。こちらはどうやら大丈夫なようだ。しっかり活動の時間も教えてもらえたので。他の予定とは重複せずこなすことができそうだ。しかし配属先である大学のほうはなかなかうまくいかない。とりあえず果樹学のエクトルが受け持っている学生に有機肥料作りの授業を行うことになったが、肝心の大学圃場を管理しているロニー氏はなかなかやる気がない。というより彼が何を考えているのかさっぱりオレは読めないのだ。ある日は「やす、やるぞー!」みたいな感じ、今日なんかは一転、かなり冷めた感じだった。彼の心情は全く読めずなかなかやりづらい。ロニー氏は農牧省試験場出身である。そこには過去にたくさん隊員が入って多くの機材を購入した歴史がある。よって彼から見たオレの印象が金ヅルにしかうつらないだろう。ここをどう変えていくかが大きなポイントになるだろう。できなければあきらめるしかないな。最低でも今のオレの技術とJICAの資金を考えたらこれ以外援助を進める方法がない。
1月29日土曜日
こんだけ忙しくても土曜日はやっぱり休日なのだ。よってオレもゆっくり休むことができる。今日なんて11時半までお休みしていた。ちょっとやりすぎだったかもしれんがまあ1週間激動だったら許してください。研究室にいたころはこんなにヤワじゃなかったのに…随分衰えたな。やっぱり序盤にたくさん睡眠時間が取れたことがマイナス要因になっている。しっかりひ弱になってしまいました。
んで、今日は久しぶりにクラブに行ってきました。せっかくグアテマラに来ているのだからしっかりグアテマラライフをエンジョイしないともったいないぞ!!!と思い始めたからだ。もしかしたらいい出会いもあるかもしれないし…(笑)。なんて期待をしていったんだけど甘かった。グアテマラ風クラブは通常カップルでいくところ、または最低でも男女同人数でいくのが普通。踊るのもほぼ確実と言っていいほど二人。ケツァルテナンゴ市で違ったスタイルのクラブは唯一つ。だからオレはもちろんそこにしかいかない。だって踊るのはストレス解消、いい音楽があってそれで好きなように体が動かせればそれで十分じゃないすか。しかしそんなことをやってるヤツが可愛い女の子を捕まえられるはずがない♪しかもここのクラブの客層がリーピーターばっか。店員の友人かスペイン語を勉強している白人、その他はあんまりいないということがよくわかる。もっと頻繁に行ったらかなり顕著になるのだろうけど。まあ観察という観点で見れば今日は面白かったかもしれん。
1月30日日曜日
ちょっと後悔していること
金曜日の続きの話。最近ちょっと後悔していること。ぶっちゃけ言えば仕事を増やしすぎた。これはオレを忙しくする、実績を増やすという観点でみれば正しい。表向きは多くの仕事を決められた時間でこなしておりすばらしいことのように見える。しかしそれはあくまでも表面を見た感想に過ぎない。
というのも最近配属先である大学にいる時間が非常に少ないことがわかっている。もちろん理由は忙しいから。他の仕事が入っているから。それが明らかになると同時にもう一つ気がついたこと。コミュニケーションの大切さ。今までうまくいっている仕事に共通することは、その人をどれだけ知ったか?ということである。今仕事がうまくいっている連中は大体彼らの家でいっしょにご飯を食べたりオレが日本食をご馳走したりしているパターンが多い。やっぱり深く付き合うことにより信頼関係が生まれる、彼の性格、現状を理解することができる。
こんな簡単なことに気がついていなかったのか?と思うけどもう遅いことに変わりない。現在の状態でみんなとそこまでの関係を築くぐらい時間を割くことは、ほぼ不可能に近い。大学内を意味もなく徘徊している時間もないに等しい。実はこういった時間が大切だと感じたときは既にもう山のような仕事が目の前にあった。
もしオレが他との仕事を一切やらなかったら今でも相当暇だったに違いない。今だって担当している授業は少ししかなく、実習も短期のモノばかりである。よって仕事は1週間に1,2回あればいい感じになるだろう。しかしそれ以外の時間をすべてコミュニケーションに割いていたとすればもっと大学の人たちとの関係を築けていたかもしれない。もとは持っている彼らの才能をうまく活かして違ったプロジェクトが立ち上げられていたかもしれない。そういった可能性はなかったとは言い切れない。もちろん過ぎてしまったこと、しょうがないことなのだろうけどもう少し冷静に仕事を進めてみる必要はあっただろう。自分の手柄を立てることに焦ってしまった。これがホンネだろう。これからこの失敗をどう修正していくのか、本当に大切な課題であると思う。
1月31日月曜日
帰ってきて初めての授業。今回の対象は学生である。彼らはEPSを控えている。EPSとは大学の授業の一環でNGOや農協、公的機関において半年〜1年研修を行うというものである。日本にはない制度だが就職前に職場を経験できるという点ではすばらしいモノだと思うのだが、実は大学に研究室が存在しないためそれを補う意味のほうが大きいだろう。そう、だから今日はその彼らにボカシ肥の作り方を教えるわけである。
20人ほどと言われていたけど実際に来たのは9人。まあそんなもんか…。場所は果樹学のエクトル氏の畑。やっぱ金がないということはそれも致し方ない。しかしオレは彼が興味を持ってくれたことが実は嬉しい。これが学部の変革への布石とは直接ならないとは思いますが何かのきっかけになってくれるとありがたい。
授業は淡々と進んだ。質問もけっこう出たしまあまあってところでしょうか。いつも作るところまではいいのだけれど実際に使うところ見せないと意味ないからなぁ。ついでにその結果も…だから農業で実績を出すのは時間がかかる。後任にまかせるにしても要請条件に合った人が来てくれるとは到底思えない。うーん難しい。
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